もちろん、彼らは孤独死を専門に扱っているわけではありません。

 しかし、少子高齢化が急速に進む日本では、確実に孤独死の数が増えますから、彼らの立場はこうした状況で「役に立っている」と認知されます。

 優越感というのは、世の中のまだ大勢を占める「ひとり身は孤独」「ひとり身はみじめ」という考えの持ち主が、孤独死した人に対して抱く相対的な感情です。

「よかった、自分には家族がいて」

 そんな感情は、ひとりで暮らしてひとりで死ぬ人を見た時、知った時に湧き上がる気持ちです。

 そう考えると、孤独死には「托鉢効果」とでもいうものがあるのかもしれません。どう説明してもネガティブにしかとらえられない人の安堵感を、十分に満たすものなのですから。

 托鉢とは何かというと、僧が貧しい人のところに行ってするものです。なぜそうするかというと、貧しい人でも他人に与えられるほどの余裕があること、そして、わずかな物を与えられた僧は「どうもありがとうございました」と言うことによって、「あなたはまだ余裕のある心をちゃんと持っているんですよ」と伝えるようなことだと思うのです。まだ自分は孤独死をしていないという意味において、自分にはまだ余裕があると思える、ということでしょうか。

 少し皮肉な書き方ですが、このふたつの効果から、ひとりで死ぬということは社会システムの安定に寄与している、とも言えるのではないでしょうか。

 もちろん、たとえ家族や身内と同居していても、彼らが留守中(たとえば数日間、旅行に出かけているなど)に死ぬこともあるわけです。

 誰かと暮らしていても、死ぬ時は“ひとり”となる可能性はあるのです。

 孤独という言葉と、死という言葉をくっつけて孤独死という言葉を作り、ネガティブさを世間に蔓延させる風潮は、私にはどうにも解せません。