「う~ん」

「私は、現実社会での、“マクロな世界とミクロな世界の関係性”の影響も大きいと思っています」

「マクロとミクロ?」

「『君の名は。』では、ボクとキミの小さなミクロなセカイから、いきなり大きな危機と言ったマクロなセカイに巻き込まれるわけです。マクロの世界が危機になってよくわからない状態だけど、その中でボクとキミのミクロなセカイの繋がりを信じあう――これを現実社会で言えば、政府などのマクロなレベルでは何をやっているのかよくわからないし信用に足らないけれど、自分たちのミクロなセカイの繋がりを大切にしよう、ということになるはずです」

「あ、なるほど~」

「たいへん興味深い事実は、過去の歴史を振り返ってみても、マクロの混乱期においてミクロへ回帰する思想が生まれていることです。
たとえば“日常”を大切にする儒教の思想が生まれたのは、春秋戦国時代という、中国に単一で強力な政治権力のなくなったマクロの混乱期なのです。そしてこの時代(紀元前500年ごろ)は“枢軸時代”と呼ばれていて、同時発生的に、世界中で様々な思想・哲学・宗教が生まれるのです。中国で孔子が儒教を興し、インドでブッダが仏教を創始し、ギリシアでソクラテスが現れといった具合です」

「それっていったいどういうことなんですか?その時代に孔子やブッダやソクラテスが会ったり話したりすることなんて、できないですよね?お互いに影響を受けていないのに、ほとんど同時にミクロに向かうなんて、超不思議です!」

「不思議ですよね。でも、その時代は世界的なマクロの混乱期だったのだと考えられるのです。そして、世界のどの地域でもミクロへの回帰が起きて、日常を大事にし、人間はどう生きるべきかなどのモラルを説く思想が生まれてきたのではないでしょうか」

「じゃあ、セカイ系である『君の名は。』が大ヒットしたのは、“枢軸時代”のときのように、これからのマクロの混乱を人々が予期して、ミクロへの関心が最高に高まったからってことですか……。たしかに、宗教とか哲学って、究極のセカイ系って言えるかも」

「マクロの混乱は、米国の大統領選でも明らかでしょう。トランプが大統領になるなんて、1年前にはだれも予想していませんでしたし、そんなことになったら悪い冗談だとみんな言ってましたからね。さらに言えば、内向きのアメリカを主張するトランプの勝利は、それ自体が米国人のミクロへの志向の表れとも言えると思います」

「なんだか、いままで教授が言っていたことが、どんどん現実化してきて怖いんですけど……」

「我々はマクロの混乱期に対して右往左往して安易な大衆扇動に惑わされることなく、本質を見極めて行動しなければならないのです。でなければ、つじつまの合わないセカイで安易なスケープゴート探しになってしまうでしょう。同じことを繰り返しますけど、我々人類の英知が試されていると思います」