あのときの日本軍はどうなっていったのか。

「第十五軍幕僚の間に存在した慎重論は、もはや軍司令官に直接伝えられることはなかった。何をいっても無理だというムードが、第十五軍司令部をつつんでいた」(『失敗の本質』より)

 インパールに侵攻することで、インド北部からの英軍の攻撃を阻止しようとした作戦は、無謀な指揮官に先導されたことで大敗北に終わります。結果として、日本軍の占領していたビルマの防衛線そのものが崩壊することになったのです。

●つじつまが合わないときに現れる、恐るべき「空気」とは?

 旧日本軍は、インパール作戦のように計画段階で必要不可欠とされた前提条件を、実施の段階までのプロセスで一切無視することが何度かありました(牟田口司令官は、武器弾薬がなければ石を拾って投げて戦えと訓示した)。

 弾薬や食糧の補給という現実的な問題を解決できないとき、日本軍ではより勇ましい(無謀な積極論)構想が躍り出てきて、重要な詳細を無視させました。

 牟田口司令官は、第一五軍司令部を訪れた稲田正純南方軍総参謀副長に、「アッサム州かベンガル州で死なせてくれ」(『失敗の本質』より)と語っています。

 もう一つは、「空気」を押し切るために間違った正論が飛び出してくることです。牟田口司令官は、インパール作戦に関連した日本軍の部隊がビルマ方面の基地から国境付近までの進出を遅らせていると「あいつらは敵が怖いから前線に来ないのだ」という主旨の非難をします。ところは現場部隊を指揮する側からすれば、武器弾薬と食糧調達の目途がついていないのだから、部隊を先へ進められないのは(部隊運営上)当然のことでした。

 悪しき形で使われる空気は、本質的な事項を検討させない圧力をかけていくことに使われています。長期的な方針もないのにいきなり遠大な目標を掲げたり、いっけん正論に見える(実際は誤っている)議論をぶつけてくることで、現実問題を無視させる。

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