一方、インフラの整備や機能強化は進んだ。

 例えば、尾道市と愛媛県今治市まで瀬戸内海の島々を結ぶ架橋ルート「瀬戸内しまなみ海道」は、91年時点ではまだ一部が開通しただけだった。約60kmが全面開通した現在、世界的なサイクリングの“聖地”としても知られている。

 同じく、呉市とその南東に位置する安芸灘諸島の島々を八つの橋で結ぶ「安芸灘とびしま海道」も、全面開通したのは08年だ。そのほかにも、県内各地で高速道路網が整備され、県外との広域的な交流・連携を支える基盤が構築された。

 94年に開催されたアジア競技大会に合わせ、「広島高速交通(アストラムライン)」も開通した。また、これを機に広島市内には大規模ホテルが続々と開業している。

 一方、かつて市街地から程近い広島市西区観音町にあった広島空港が、三原市の山中に移転したのは93年だった。広島市からも福山市からも遠くなったため、利便性が低下したのは否めない。

 原爆ドームと厳島神社という二つの世界遺産が登録されたのも96年で、この間の出来事だ。91年に3864万人だった観光客数は昨年6618万人と約1.7倍に増加している。外国人観光客数に至っては26.7万人から104.6万人と4倍近く伸びた。

 スポーツでいえば、カープと共に広島のスポーツシーンをけん引するサッカーのサンフレッチェ広島が、Jリーグへの参加を表明したのは91年1月である。

 こうした変化をつぶさに見ていくと、25年という月日の長さをあらためて実感できる。そして、ここから見えてくるのは、地方都市が成長モデルの獲得を模索する様子でもある。

「週刊ダイヤモンド」9/10号では、その詳細に迫った。続きは本誌で!

●インタビュー 湯崎英彦・広島県知事
【ハードの強みにソフトを付加 カープと共に質的転換果たす】

──この25年で広島はどう変わりましたか。

 まさに1991年を最後に優勝から遠ざかり、雌伏の時を過ごしたカープと似ていて、広島県は鉄鋼や自動車、造船など重厚長大産業を抱える土地柄なので、91~92年のバブル経済の崩壊以降、非常につらい時期を過ごしてきました。

 しかし25年を経て、質的転換を果たしました。従来の重厚長大の「ハード」なものに「ソフト」なものが「アドオン」されていくという変化が起きています。

 具体的に県内企業を例に取れば、マツダは従来のロータリーエンジンに象徴される技術面からデザイン面での優位性を発揮するようになったし、伝統産業では野筆がなでしこジャパンの国民栄誉賞の副賞として贈答されたように、単に機能面だけでなく、人の生活価値に密着し、感動を呼ぶような事例が増えてきた。それが、この25年の変化といえます。

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