135万部を突破した『嫌われる勇気』を読んで、アドラー心理学の虜になったという人は著名人にも多い。中でも、フリーアナウンサーの小林麻耶さんは「アドラーに出会って人生が変わった」と言い、続編となる『幸せになる勇気』の刊行を待ち望んでいたそうだ。そんな小林さんが開口一番、「このタイトルは嫌だと思った」と話す理由とは?
著者である岸見一郎氏、古賀史健氏と小林さんとの鼎談です。(構成:室谷明津子、写真:田口沙織)
●『嫌われる勇気』を上回る衝撃度
小林麻耶(以下、小林):今日はお二人とまたお話ができるのを楽しみにして来ました。
古賀史健(以下、古賀):こちらこそ、よろしくお願いします。
岸見一郎(以下、岸見):前回の鼎談から2年近く経っていますが、いつもテレビで小林さんのお顔を見ているので、あまり久しぶりという感じがしませんね。
小林:(手元にある付箋だらけの『幸せになる勇気』を見ながら)もうこんなにボロボロにしてしまって、お見せするのもお恥ずかしい。早速なんですけど、私は『嫌われる勇気』にすごく影響を受けたので、続編を心待ちにしていたんです。だけど最初に『幸せになる勇気』を見たときに、「なんて嫌なタイトルなんだろう」って……!
岸見:それはまた、どうしてですか。確か『嫌われる勇気』を最初に書店で見たときは、「自分は随分人から嫌われてきて、嫌われる勇気はもう持っているから読む必要はない」と思って、手に取るのが遅くなったとおっしゃっていましたね。
小林:そうなんです。今回は逆で、私はずっと「幸せになりたい!」と周囲に言ってきました。でも実際は、幸せになる勇気も覚悟も全く持っていない。そのことに薄々気付いていたので、タイトルを見たときに「これだけは勘弁して」と思いました。「幸せになる勇気」は自分にいちばん欠けていて、どうすれば手に入るかさえわからない。直視したくないテーマだったんです。この本を手元に置きながら、しばらくページを開けないくらい拒否反応がありました。
古賀:へえー!
小林:そうはいっても、問題から目をそらし続けていても仕方がない。このタイミングで向き合うべきだと思って読み始めたら、案の定、アドラーは劇薬でした。特に「愛する人生を選べ」と題した第五部は、読みながら号泣してしまいました……。今までの私は、人から「愛されたい」と思って、そのためのスペックは十分に搭載してきたつもりです。でも、この本でアドラーは、「他者から愛される技術」ではなくて「他者を愛する技術」を身に付けるのがどんなに大変かを説きますよね。それが自分には全くない発想で、衝撃が走りました。
古賀:そういうふうに感じるのは、おそらく小林さんだけではないでしょう。僕自身、アドラーの思想に触れるまで「愛される人生から愛する人生に転換する」なんて、考えたこともありませんでした。アドラーが言うように、人間の人生は「愛されること」を目的にして始まります。子どもは自分1人の力で生きられないので、大人から愛され、保護される必要があるからです。でもいつかは、愛されるばかりの子ども時代に終止符を打って、他者を愛する人生へと目的をひっくり返さなくてはいけない。そうすることでしか、人は本当の意味で自立できない――。『幸せになる勇気』の第五部に出てくるアドラーの教えは、『嫌われる勇気』よりも、はるかに人々に与える驚きや衝撃が大きいと思います。
小林:愛する人生を選ぶ過程で、アドラーは主語を「わたし」から「わたしたち」に切り替えなさい、と言いますよね。「わたしの幸せ」ではなく、「わたしたちの幸せ」を求めるのだと。その発想も新鮮で、「わたしたちの人生」ってなんだかすごく楽しそうって思いました。読み終わった瞬間は、「私もこれでついに愛する勇気を持てる!結婚したい!」と盛り上がっていましたね。
一同:(笑)
小林:しかしそういう興奮は長く続かないので、いまは冷静になって、また結婚したくない気持ちに戻っちゃったんですけど(笑)。
●能動的に人を愛することをどこかで避けてきた
古賀:幸せになりたいと言いながら、これまでは幸せになる勇気が持てなかったというのは、なぜですか。
小林:いまの自分には何かが欠けていると思うほうが、安心するんです。「わたしたち」になるための相手が存在せず、結婚という目的が果たされていない。幸せになる手前で、「幸せになりたい」と思っているほうが精神的にラクというか……。
岸見:現在の自分が充足していて、もっと幸せになりたいと願うことは、問題じゃないですよ。いまの自分は幸せじゃないから幸せを望むというのだと、話が別ですが。