●僕が『遅読家のための読書術』で本当に伝えたかったこと

 よく、「誰の人生でも1冊の本になる」といわれますが、生きていればたしかにいろいろなことがあるものです。そして、そのいくつかは一生ものの分岐点になったりもします。僕にとっては、9歳のときの出来事がまさにそれでした。

 小学4年生になりたての春、坂の途中で自転車のブレーキがいきなり効かなくなり、そのままバランスを崩して頭を地面に打ちつける事故をしました。
その後、意識が戻らない状態が3週間以上続き、医師も「99%、命の保証はできません」といっていたのだそうです。
 もちろん、いまこうして文章を書いている以上、そのあと僕はちゃんと目を覚ましたわけですが……この事故は子ども心ながら本当にショックでした。

 それ以来、「自分の頭は壊れてしまったのだ」という思いが離れませんでした。僕にとってなによりも辛かったことの1つが「読んだり書いたりすることができなくなってしまった」という思いです。

 もうずいぶん前に亡くなりましたが、僕の父は編集者でした。帰宅はたいてい深夜で、泥酔して帰ってきては大声で下手な歌を歌ったりしていたので、近所の人はたまったものではなかっただろうと思います。
 とはいえ、子どもにとって父は父。憧れの気持ちはあったし、将来は同じような仕事をしたいと漠然と感じてもいました。なによりも僕は、本が大好きな少年だったのです。

 ただ、怪我をきっかけとして、「自分は本をつくる仕事になんて就けない」と思うようになりました。1学期をまるまる休んだので成績は急降下しましたし、「読むことも書くことも全部ダメになってしまった」と思っていたからです。

 ……と、これ以上書くと、ただの不幸自慢みたいになってしまいますが、いまだからこそいえるのは、「自分は壊れてしまった」とか「読み書きの能力が低下した」といった思いは、すべて僕が勝手につくり上げた思い込みだったということです。

 こんな話を書いたのは「私は遅読家だ」という認識も、その人の思い込みから生まれた幻想だと僕が信じているからです。

 そうした苦手意識って、多くの場合、ほんの些細な失敗体験やトラウマからなどから生まれているものです。年間700冊以上のペースで本を読み、月50本以上のペースでブックレビュー記事を書いている自分の経験からもはっきりいえますが、意外と簡単に「本が読める自分」と出会えるチャンスはあるのです。

「やっぱり本がある生活のほうが、ない生活よりはずっと楽しい」 ― これは僕にとって動かしがたい事実です。

 そして、みなさんの人生にとっても、本が「ある」生活のほうがいいのだとすれば、僕が『遅読家のための読書術』で紹介している読書スタイルはきっとお役に立てるはずです。そう信じているからこそ、この本を書こうと思い立ちました。

「カメ」の装丁が目印です。本屋さんでお見かけの際は、ぜひ手に取ってみてください。