フィルム写真時代が終わりを告げたとき、富士フイルムには即座に対応できる優れたスキルと柔軟な組織力があった。「我が社は、すでに多様な技術資源を持っていました」。2012年、代表取締役会長兼CEOの古森重隆は『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に語った。「だから、こう考えたわけです。『その技術をうまく活かそうじゃないか。新しく活かせる分野があるに違いない』と」

 そしてその言葉通り、古森は多様な技術を転用して新規事業の開拓に乗り出した。古森は2004年を「第2の創業」と位置づけ、写真フィルム事業が全事業に占める割合を、その後の10年で20%から1%に引き下げると宣言した。その一方で、医療品事業を、総売上高220億ドルのうちの10%超を占めるまでに成長させた。液晶ディスプレイ事業が占める割合も、同じく10%に達した。(同300―302ページ)

 変化が激しく、そのインターバルも短くなっていく時代において、危機的状況に陥ることのない企業など、存在しないだろう。たとえいま、規制で守られている業界であろうと、関係ない――エアビーアンドビー(Airbnb)、ウーバー(Uber)の登場で慌てふためく宿泊業界、タクシー業界を見れば十分だろう。

 みずからコア事業を解体することも厭わない、そんな「劇薬」を飲む勇気のあるCEOだけが、「ビッグバン・イノベーション」の時代を生き延びられるのだ。(構成:編集部 廣畑達也)