●日本人は不景気でも「旅」を続けた 中国人も決して「旅」を止めない

 中国の「バブル」がよしんば崩壊したとしても、中国人観光客は減らない。少なくともあと20年程度は高い数値を保ち続けるはずだ。それは日本人の過去を振り返っても自明である。

 図3のグラフは1980年から2012年までの日本人の国内宿泊旅行人数だ。日本人は年間でのべ約3億泊を旅先で過ごしており、この数字はここ30年大きく上下していない。バブルが崩壊して「失われた10年」が通過しても、人々は旅をし続けたのである。

 生命と生活の安全がある程度確保されると、人は外部へとその触手を伸ばす。未知の環境においてあらためて立ち現れる自己が、心理学者・マズローのいう段階欲求の最高位「自己実現欲求」を満たすからだ。言葉の通じない外国で相手に自分の意思が伝わったときに感じる嬉しさ、誇らしさは自分の能力や感性を再確認する喜びなのである。これを一度知ってしまうと、人は日常生活だけでは飽き足らなくなる。

 日本で外貨の持ち出し制限が緩和され、海外旅行が自由化されたのは1970年代になってから。農協ツアーなどの団体客がハワイ、ヨーロッパなどに繰り出した。SF作家の筒井康隆が彼らのマナーの悪さを強烈に揶揄した中編「農協月へ行く」を書いたのは1973年のことだ。

 筆者は学生だったが、「友達の○○ちゃんが家族でハワイに行ったんだって」「じゃあウチもこの夏はハワイに行くか!」といった会話が周囲でもドラマでも頻繁に交わされていた。現在は中国の一般家庭でこうした会話が交わされていることが、ありありと想像できる。「まだ」1億人しか国を出ていないのだ。

 先にも述べたように、日本人が旅に出る動機や回数は、高度経済成長の頃から現在までそう変化していない。年に一度、楽しみにしている海外旅行や恒例の家族旅行が、景気や為替の動向で増減することはあまりないのである。マスコミが懸念していた今年10月の「爆買い」も、結局は前年を上回る勢いだったという。中国株バブル崩壊は、日本への買い物ツアーに影響を与えなかった。

●爆買いはいずれ沈静化 旅行は個人旅行にシフト

 もちろん、家電や化粧品などの爆買いが永遠に続くことはありえない。中国の経済改革がうまく進まなければ、中国人観光客が買い物に使うお金は減るかもしれない。なにしろ現在は、訪日外国人の旅行支出が平均18万7000円なのに対し、中国人だけが28万円も使ってくれているのだ。これは中国の家庭にモノが行き渡るにつれ、沈静化していくだろう。

 しかし団体旅行で日本を訪れた中国人は、次は個人旅行で自由に各地を回りたいと考える。自由度の高い香港ではすでに海外個人旅行(FIT.Foreign Independent Tour)が主流になっている。団体旅行ではどうしても「自己実現」上の不満が残るからだ。日本でも80年代の後半には若者たちですら個人旅行を楽しむようになった。今の中国が日本の70年代初頭の旅行パターンだとしたら、あと20年近くは需要が伸び続けると予測することも可能なのである。

 南北に長い日本には多くの絶景の地があり、洗練された温泉宿が全国にあり、食事は美味しく、どこもかしこも清潔だ。いち中国人の気持ちでアジアに旅行先を求めるなら、日本は観光地として相当なバリューを有している。自信を持っていい。

 真に憂慮すべきは受け入れ態勢の遅れだ。飛行機の客席数とホテルの数が圧倒的に足りない。今年、訪日外国人は1900万人を突破する。2年前の倍だ。実は日本に来る飛行機が足りない状態で、この数値なのである。ここに空港の整備やさらなるLCCの参入などが加われば、その勢いは推して知るべし。

 みずほ総研は東京オリンピックの前年には外国人の総泊数が2.2億泊にのぼると試算した。現在3億泊で安定している国内の宿泊施設は、合計5.2億泊となり、いともたやすく飽和するだろう。政府は民泊合法化へ舵を切ろうとしているが、それでも焼け石に水ではないか。

 インバウンドは、日本では貴重な超・成長産業である。マスコミが揶揄的な態度を取りがちなのは、彼らこそ内需だけが頼りのドメスティック産業だからではないかと邪推してしまう。

(旅行会社「ホワイト・ベアーファミリー」社長 近藤康生)