早川智

早川智

早川智(はやかわ・さとし)/1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に戦国武将を診る(朝日新聞出版)など
歴史上の人物を診る
西郷隆盛が50回もの激しい下痢に襲われたのは、ストレスによるあの「腸」の病気だった!?
西郷隆盛が50回もの激しい下痢に襲われたのは、ストレスによるあの「腸」の病気だった!?
NHK大河ドラマ「西郷どん」は、渡辺謙扮する島津斉彬の死で一つの節目を迎えた。主演で鈴木亮平が演じる西郷隆盛は、実際はフィラリアの感染による象皮病という持病があったとされるが、それ以外にもある疾患に悩まされていた。『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。今回は西郷隆盛を「診断」する。
病気
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「西郷どん」で渡辺謙扮する島津斉彬の死因は毒殺? コレラ? それとも… 現代の医師が解説
「西郷どん」で渡辺謙扮する島津斉彬の死因は毒殺? コレラ? それとも… 現代の医師が解説
俳優の鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ「西郷どん」。ドラマの節目となるのは、俳優・渡辺謙が抜群の演技力で存在感を示す名君・島津斉彬の「最期」ではないだろうか。『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。名君・島津斉彬を「診断」する。
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地球の細菌に勝てなかった『宇宙戦争』の火星人 医師の解釈は?
地球の細菌に勝てなかった『宇宙戦争』の火星人 医師の解釈は?
『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、火星人を診断する。
朝日新聞出版の本歴史病気
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のどが渇く、目が見えない… 光源氏のモデルとされるあの権力者を襲った病は? 現代の医師が診断
のどが渇く、目が見えない… 光源氏のモデルとされるあの権力者を襲った病は? 現代の医師が診断
歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。  日本大学医学部・早川智教授の著書『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)はまさに、名だたる戦国武将や歴史上の人物がどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析し、診断した稀有な本である。本書の中から、早川教授が診断した藤原道長の症例を紹介したい。 *  *  * 【藤原道長(966~1027)】  太古の昔はいざ知らず、日本では天皇家にとって代わろうとする権力者はまずいない。従って、娘を嫁がせて次の天皇の外祖父になるというのが、平安貴族の王道だった。その代表が源氏物語の主人公・光源氏のモデルともなった御堂関白藤原道長である。 「この世をば、我が世とぞ思ふ望月の、かけたることのなしとおもへば」と藤原道長が権力の絶頂を謳った寛仁2年(1018年)、その体は既に病魔に蝕まれていた。藤原実資の日記『小右記』は、「近日、枯槁殊に甚だし。去年より陪す。又一昨胸病発動す。悩み苦しむの間弥々無力也」とあり、若い頃は堂々たる偉丈夫であった道長が急に痩せてきて、胸の痛みに苦しんだとしている。  その2年前には「摂政車にのり、御行に従ふ。悩気有るに依り、河原より退帰せらる。飲水数々、暫しも禁ずべからず」。「摂政仰せられて云ふ。去三月より頻りに漿水を飲む。就中近日昼夜多く飲む。口渇き力無し。但し食は例より減ぜず」。つまり道長は、51歳頃からしきりに水を飲み口が乾燥して無力状態になったが、食欲は衰えなかったというのである。  当時の医師は、道長の病を「消渇」としている。おそらく、典型的な2型の糖尿病だったのだろう。消渇については隋の医師・巣元方(580~650)が『諸病源候論』で口渇と多飲多尿といった糖尿病の典型的な症状を記載している。  藤原一門、特に道長の親族には消渇の患者が多く、伯父伊尹、父兼家、兄道隆その長子で甥にあたる伊周はいずれも「飲水の病」を患っていたという。道長と権力の座を争った伊周は、『栄華物語』に「帥殿は、日ごろ水がちに、御台などもいかなることにかとまできこしめせど、怪しうありし人にもあらず。細り給ひにけり」と記している。どうしたかと思われるほど食事を摂りながら、水を飲み痩せ細っていったというのである。ストレスは交感神経の緊張から高血糖の原因となるので、宮廷における権力闘争が寿命を縮めたのだろう。一見、花鳥風月を愛で、和歌を詠み、愛人のもとに通う優雅な平安貴族だが、弓矢や剣術、鷹狩りを好んだ戦国武将のように運動することもなく、また直接、敵と刃を交えないだけに、闘争は間接的かつ陰湿で徐々に貴族たちの肉体と精神を蝕んだ。
朝日新聞出版の本歴史病気
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空豆を食べられなかったピタゴラス 実はマラリアが関係していた!? 現代の医師が診断
空豆を食べられなかったピタゴラス 実はマラリアが関係していた!? 現代の医師が診断
『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、古代ギリシャの数学者、ピタゴラスを診断する。 *  *  * 【ピタゴラス (B.C. 582~496年頃)】  夜中に原稿を書いているとお腹が空く。煙草と甘いものは家人から“ドクター・ストップ”がかかっているので“坂の上の雲”の主人公、秋山真之中佐に倣って煎り豆を齧るのがここ数年の習慣である。この豆を筆者は最初、黒豆かピーナッツと思っていたが、よく調べてみると空豆であった。  秋山中佐の出身地である伊予松山では単純に焙烙で煎った空豆(堅豆)が伝統的な間食なのだそうである。小粒の空豆を殻ごとうまく煎った堅豆は大変香ばしく、低カロリー高食物繊維で結構なものだが、東京ではなかなか売っていない。油で揚げた「いかり豆」はスーパーでも容易に手に入るが、似て非なるものであり、何よりも油で汚れてしまうので秋山中佐にならってポケットに入れることができぬ。 ■空豆の起源と分布  さて、空豆は紀元前より地中海、西南アジアで栽培され、中国を経て日本へは8世紀ごろ渡来したという。アジア・アフリカなど旧世界で準主食とされ、特に中国では豆板醤の原料として大変重要な作物である。日本では江戸慶長年間以降、特に西日本で米の裏作として田に植えられ、農家の副食や間食として普及した。  江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には「胃ニ快ク臓腑ヲ和ス」とあり、さらに誤って針をのんで誰も手をつけられなかった患者に医師が韮と空豆を与えたところ無事に排出されたとしている。食物繊維が効いたのだろう。さらに、同書には古株に花実をつけることから「故ニ以ッテ子孫繁昌草ト為ス(巻104菽豆類)」としているが、これは著者である寺島良安先生の誤解で、普通は一年草である。
朝日新聞出版の本歴史病気
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戦国時代にピンピンコロリ 北条早雲の長寿は禅寺教育が関係!? 現代医師が解説
戦国時代にピンピンコロリ 北条早雲の長寿は禅寺教育が関係!? 現代医師が解説
歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。  日本大学医学部・早川智教授の著書『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)はまさに、名だたる戦国武将や歴史上の人物がどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析し、診断した稀有な本である。本書の中から、早川教授が診断した北条早雲の症例を紹介したい。 *  *  * 【北条早雲(1432?~1519)】  還暦を過ぎてもまだまだ元気な人が多い現代だが、戦国時代にかつての定年年齢を過ぎてから歴史の表舞台に登場し、時代を先駆けた武将がいる。北条早雲である。  早雲の本名は伊勢新九郎長氏(盛時という説もある)。生年は1432(永享4)年、父は備中荏原荘(現・岡山県井原市)の領主で足利義政の申次衆(側近)伊勢盛定、母は同じく伊勢氏で政所執事の伊勢貞国の娘であった。  応仁の乱(1467年)当時は将軍足利義政の弟の義視に仕え、後に義政の後継者・義尚の申次衆となった。応仁の乱で妹が嫁いでいた東軍の駿河守護今川義忠が、西軍の遠江守護斯波義廉方の家臣に討ち取られると、幼少の嫡男龍王丸を助けるために京から駿河に下って上杉の家宰太田道灌と談判し、今川家の内紛を収める。この働きにより元服した龍王丸(氏親)の後見人として伊豆との国境の興国寺城を与えられる。さらに幕府奉公衆小笠原政清の娘(南陽院殿)と結婚、嫡男氏綱が生まれた。伊勢新九郎56歳の展開である。  当時、伊豆は堀越公方足利政知が支配していたが、1491年に政知が没すると、長男茶々丸が側近を率いて、継母円満院と異母弟潤童子を殺害して強引に跡目を継ぐという事件が起きた。潤童子の兄で出家していた清晃による茶々丸追討の指示を受けた早雲は伊豆を攻略、堀越御所の悪政を廃して善政を敷いたため領民の歓迎を受ける。1495年9月には隣接する相模の大森氏の居城小田原城を、鹿狩りを装って入った箱根山から急襲し無血奪取、本拠とする。山内扇谷両上杉を平らげ、82歳にして自ら陣頭に立って要衝油壺にこもる相模の名門三浦一族を攻略、古都鎌倉を含む全相模の支配権を確立する。家督を氏綱に譲った翌1519(永正16)年没した。享年88。  もともと幕府の高官でありながら領国を得ると法治による支配を強化し、以後五代百年にわたる関東の主となった。国盗りのためにはかなり阿漕なこともやった早雲だが、善政と古典の教養のためか、同じようなことをした斎藤道三や松永弾正に比べて後世の印象は良い。
朝日新聞出版の本歴史病気
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恋多き歌人・在原業平には浮気癖の遺伝子変異があった!? 現代の医師が診断
恋多き歌人・在原業平には浮気癖の遺伝子変異があった!? 現代の医師が診断
歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。  日本大学医学部・早川智教授の著書『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)はまさに、名だたる戦国武将や歴史上の人物がどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析し、診断した稀有な本である。本書の中から、早川教授が診断した在原業平の症例を紹介したい。 *  *  * 【在原業平(825~880)】  百人一首は物心ついたころから家にあるが、お正月しかしないので一向に上達しない。それでも、「ちはやぶる神代もきかず龍田川」(古今294)は得意の札で、「ちは」とくると「からくれなゐに水くくるとは」は人に譲らなかった。『伊勢物語』のモデルとなった在原業平の作品である。 ■昔、男ありけり  平安時代初期の歌人在原業平は天長2年(825年)平城天皇の皇子の阿保親王の第五王子として生まれた。両親ともに皇族だったが、兄・行平とともに臣籍降下して在原氏を名乗る。仁明天皇の蔵人として従五位下に進むも、政治的理由で(一説にはあまりに派手な女性関係で)、文徳天皇の代には13年にわたって昇進が止まり、次の清和天皇のもとで従五位上、右馬頭、右近衛権中将、蔵人頭に序せられる。 『日本三代実録』に「体貌閑麗、放縦不拘、略無才覚、善作倭歌」とあるように本人は出世にはあまり興味がなく、次々に新しい恋を求めた。男女関係に鷹揚な平安時代とはいえ、相手は天皇の后である二条后(藤原高子)や神に仕える伊勢斎宮恬子内親王など、社会的に絶対に許されない恋である。  生殖生物学的には、負担の大きな投資を行う女性に生殖の優先権があり、個々の配偶子形成に対するコストが少ない男性を自然淘汰に委ねる、すなわち、生存競争に勝った男性が複数の女性を妊娠させることが可能という哺乳類全体に共通する生殖戦略がヒトでも成り立つ。ただ、子どもが成熟するのに十数年かかる人類では、夫婦で協力して子を育てるほうが繁殖成功度は高い。  そんな中、子どもは乳母が育ててくれて、自分は遊んでいても食べるに困らない貴族階級において、一部は浮気に走る。しかし、同じ上流階級でも一夫一婦を守る真面目なカップルも多いのはなぜだろうか?
朝日新聞出版の本歴史病気
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お正月のだるま、眼球突出はバセドウ病の症状? モデルの達磨大師を現代医師が診断
お正月のだるま、眼球突出はバセドウ病の症状? モデルの達磨大師を現代医師が診断
『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、禅宗の開祖、達磨大師を診断する。 *  *  * 【達磨大師 (5世紀後半?~6世紀前半?)】  初詣はどこも大変な人出である。  長い行列を終えて、帰りは露店で甘酒や縁起物ということになるが、筆者が毎年出かける実家近くの神社ではだるま市が開かれている。数センチのミニだるまから巨大なものまで様々である。数年前に小ぶりのものを買い求め、教室の先生がメジャーな雑誌に論文を送る時に片目を、アクセプトが決まると杯を上げて両目を入れていたが、数が増えて棚に場所が足らなくなって、いつしかやめてしまった。 ■壁の前で9年  さて、だるま人形のモデルは実在の人物、菩提達磨で禅宗の開祖であるという。  魏の撫軍府司馬楊衒之撰『洛陽伽藍記』(547年)などによると、達磨は南天竺国・香至王の第3王子として生まれ、般若多羅の法を得て仏教の第28祖になったということになっている。胡人(ペルシア人)であったという説もある。海を渡って中国へ布教に来た達磨は普通元年(520年)当初南朝(梁)の治める広州に上陸したが、受け入れられず北魏に向かい、嵩山少林寺において壁に向かって9年座禅を続けたという。これが、禅宗でいう壁観(壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅)を体現したものであるという。  永安元年10月5日(528年11月2日)に150歳で遷化したが、パミール高原で片方の草履のみを手にした達磨を見かけた者があり、墓にはもう一方の履物しか残っていなかったという伝説がある。禅宗はやがて臨済宗、曹洞宗などの五家七宗に分かれ、日本には鎌倉時代に伝来し、本家であるインドや中国で衰退したのちも特に武士の間で広く受け入れられた。庶民の間にも達磨大師が面壁9年の座禅によって手足が腐ってしまったという伝説が生まれ、縁起物のだるま人形になったという。
朝日新聞出版の本歴史病気
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院政を混乱させた美女・待賢門院璋子は「オギノ式」で計画妊娠!? 現代の医師が解説
院政を混乱させた美女・待賢門院璋子は「オギノ式」で計画妊娠!? 現代の医師が解説
歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。  日本大学医学部・早川智教授の著書『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)はまさに、名だたる戦国武将たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析し、診断した稀有な本である。本書の中から、早川教授が診断した待賢門院璋子について紹介したい。 * * * 【待賢門院璋子(1101~1145)】  西洋では「恋愛」は12世紀に吟遊詩人が発明したものだという。日本では、額田王が袖を振った飛鳥時代から恋愛が存在した。江戸時代の国学者・本居宣長は、「儒教を生活の規範とする中国人は(実態はともかく)道徳論が好きで好色を咎める。一方、日本人は道徳よりも「もののあはれ」を重んじ、恋愛を文学の主要な題材とする」と言う。さらに「日本は神国で唐土は悪国云々」と続くがこれは省略。  実際、『源氏物語』から近代の能、歌舞伎、文楽、浮世絵、黄表紙にいたるまで、日本文学のメインテーマは恋愛である。男女間の対等の関係(どちらかが愛を告げて、他方がこれを受け入れるか気に入らなければ拒絶できる)がなければ恋愛は成立しない。古代社会では家畜や財産の類いと考えられてきた女性が男性に隷属せず、自由意思で配偶者を選べることは画期的な出来事であろう。 ■愛さえあれば年の差なんて  平安時代、宮廷貴族たちにとって、恋愛が国家経綸よりも民草よりも重要な関心の対象となった。しかし、美しい奔放な女性と最高権力者の恋が内乱に発展したのは、待賢門院璋子と白河法皇の場合だけだと思う。  平安末期にいわゆる院政を始めた第72代・白河天皇(貞仁親王)は、天喜元年(1053年)6月19日に尊仁親王の皇子として生まれた。『平家物語』では、「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたと記しているが、逆に言えばそれ以外のすべてのことが思い通りだった。女性関係においても自由な立場だったが、五人の親王・内親王をもうけた中宮・賢子が若くして死去すると、その嘆きは一方ならず、有名な祇園女御(一説に平清盛の生母とされる)ほか数多の美女に囲まれながら、真に愛するべき女性は現れなかった。ところが法皇55歳にして、祇園女御が養女に迎えた藤原公実の末娘・璋子(7歳)をいたく気に入り、源氏物語に出てくる紫の上のように第一級の淑女として育てる。
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『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で「歴史上の人物を診る」を連載していた。今回はSF映画「スター・ウォーズ」シリーズに登場する「ダース・ベイダー」を診断する。
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