Nissim Otmazgin

Nissim Otmazgin

〇Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授。トルーマン研究所所長を経て、同大学人文学部長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年ヘブライ大学にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に贈られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。2012年、エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。
金閣寺を60回訪れたイスラエル人教授の“ニッポン学”
ミス・ユニバース日本代表がイスラエルの学生たちに語った「人生経験」とは
ミス・ユニバース日本代表がイスラエルの学生たちに語った「人生経験」とは
イスラエルのニシム・オトマズキン教授によるAERA dot.コラム「金閣寺を60回訪れたイスラエル人教授の“ニッポン学”」。今回は、イスラエルで開かれたミス・ユニバース世界大会でTOP16に選ばれた、日本代表・渡邉珠理さんとの出会いについて。
イスラエル
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草間彌生がイスラエル人に大人気の3つの理由
草間彌生がイスラエル人に大人気の3つの理由
イスラエルのニシム・オトマズキン教授によるコラム「金閣寺を60回訪れたイスラエル人教授の“ニッポン学”」。今回は、イスラエルで人気の草間彌生について。
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コロナワクチン3回接種後の日常は? イスラエル・ニシム教授からの現地報告
コロナワクチン3回接種後の日常は? イスラエル・ニシム教授からの現地報告
世界のなかで最も早くコロナワクチンの接種が進んだ国の一つ、イスラエルでは、すでに3回目の接種を受けた人も増えている。国立ヘブライ大学のニシム・オトマズキン教授によるコラム「金閣寺を60回訪れたイスラエル人教授の“ニッポン学”」。今回は、ワクチン接種が進んだイスラエルの日常と、日本の現状への「懸念」を語る。
イスラエルコロナワクチン
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路面電車がエルサレムを変えた 車内ではユダヤ人とアラブ人の会話が弾む
路面電車がエルサレムを変えた 車内ではユダヤ人とアラブ人の会話が弾む
私が1990年代の終わりに初めて東京に着いたとき、最も感銘を受けたことの一つが、発展した都市の列車システムでした。地下鉄、各列車、路面電車とそのネットワーク化されたシステム、そして安価に速くどこでも移動できることに驚きました。
イスラエル
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イスラエル流「細川政権」がスタート 史上初めてアラブ系政党が内閣に加わった
イスラエル流「細川政権」がスタート 史上初めてアラブ系政党が内閣に加わった
先月、イスラエルで新内閣と第18代首相が誕生しました。新首相はナフタリ・ベネット氏(49)。全国会議員120人のうち、7議席を持っている政党の党首です。新政権は、政治的には左右8つの政党の連立によって、ベンヤミン・ネタニヤフ氏の12年間にわたる長期政権を終わらせました。それだけでなく、連立政党の一つとして内閣に初めてアラブ系政党が含まれていることが、イスラエルの政治史における大きな出来事です。
イスラエル
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日本人にはわかりづらいイスラエル紛争 現地教授が読み解くユダヤ人とアラブ人「共存」の道
日本人にはわかりづらいイスラエル紛争 現地教授が読み解くユダヤ人とアラブ人「共存」の道
迅速な予防接種キャンペーンのおかげで、イスラエルのコロナ危機は終わりました。しかし私たちは今、再び異なった挑戦に直面しています。
イスラエルパレスチナ
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国民の8%がベジタリアンのイスラエル コロナ禍で起きた食文化の変化
国民の8%がベジタリアンのイスラエル コロナ禍で起きた食文化の変化
新型コロナウイルスが広がり続け、多くの人々が食事を家でとっているか、テイクアウトを利用していますよね。イスラエルはすでに3回のロックダウンを経験しており、イスラエル人もまた、外食をせずに家庭料理や出前に頼るようになりました。この状況は、イスラエルの人々の食事についての考えに強い影響を与え、コロナ後の食事についていくつかの変化を提示しました。  一つは、膨大な数のテイクアウト料理を注文するようになったことです。今まで配達をしていなかった有名レストランなども配達するようになりました。もともとイスラエルは日本と異なり、外食よりも家で調理するほうがはるかに安く上がります。アメリカのようなファストフード文化はそれほど一般的ではありません。また家族は自分の家庭の味に誇りを持っています。  しかし、コロナは状況を変え、テイクアウトは活況を呈しています。テルアビブの街や他の多くの主要都市では、家庭にレストランから料理を配送するスクーターや自転車がよく見受けられます。二つの配送会社がイスラエルでは人気で、一つは「Wolt」という電動自転車を使用する、フィンランドに拠点を置くグローバル企業です。もう一つはスクーターを使って配送するイスラエルの「Ten Bis」(ヘブライ語で「一口を与える!」)。 双方とも配達料は約300~500円くらいです。コロナ危機の初めにこの二つの会社に投資していたら、私は今ごろ金持ちだったでしょう(笑)。  コロナによってもたらされた第二の変化は、外食産業で職を失った多くのイスラエル人が自宅で料理を作り始め、オンラインでケータリングサービスを提供し始めたことです。最近、エルサレムに住むある日本人女性(中村絹代さん)も、自家製の料理のケータリングサービスを開始しました。ユダヤ系フランス人の夫とイスラエルに住む前にパリで料理を学んだ彼女は、エルサレムに拠点を置くブティックホテルでシェフとして働いていました。コロナのために、ホテルは1年以上、休業しなければなりませんでした。その間、彼女は家のキッチンで調理した家庭料理、日本料理とフランス料理の両方を、ホームメイドの料理を食べたい人に提供しています。 私も彼女の家庭的な料理のファンの一人です。もう一つ、私が好きなのは本格的なモロッコレストランの配達です。これは私の両親の味でもあります。
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アポなし接種もOK 世界最速でコロナワクチン接種が進むイスラエルからのリポート
アポなし接種もOK 世界最速でコロナワクチン接種が進むイスラエルからのリポート
1カ月ほど前、私はエルサレムの自宅からそれほど遠くない診療所に、ファイザー社の新型コロナワクチンの接種を受けに行きました。そのときの政府のガイドラインでは、ワクチン接種の資格は年齢が50歳以上で、まだ40代後半の私にはワクチンを受ける資格はありませんでした。私が診療所に到着したときはすでに夕方で、私はワクチン管理の30代ぐらいの男性に「まだ50歳に達していないが、予防接種を受けることができるでしょうか」と尋ねました。彼は数秒間私を見た後「OK」と言い、予防接種を受けるために私を案内してくれました。その間彼は、資格がない私がワクチンを受けられる理由は「いくつか予備のワクチンが残っているため」で、「喜んであなたに接種を許可します」と説明してくれました。  このエピソードは、イスラエル人の国民性とこの国の物事の管理の仕方について多くのことを伝えています。イスラエル人は即興性を好み、柔軟性とルールを曲げる傾向がありますが、新型コロナウイルスのワクチン接種の場合、これが利点になりました。逆に普段ルールを無視することに慣れていない日本では、私のような場合、接種を受けられなかっただろうと思います。  イスラエルは、新型コロナウイルスのワクチン接種キャンペーンを開始した最初の国の一つであり、開始1カ月後には、イスラエルの人口(約900万人)の約3分の1が、少なくとも1回の接種を受けました。これは世界で最も速い接種スピードです。人々は各都市の診療所、病院、および特別に設けられた指定の公共スペースでワクチンを接種できるようになっています。  またイスラエルのニュースやソーシャルメディアは、人々にワクチン接種を行うよう呼びかけています。WhatsApp と呼ばれるLINEに似たメッセージアプリには、ワクチンに関する情報が提供され、予定した接種者がやってこずワクチンが余った場合、その日のうちにメッセージで誰でも来られる人に呼びかけます。 また年老いた両親に付き添いワクチン接種会場にやってきた人々にも、彼/彼女が基準を満たす年齢でなくても接種させてくれます。  イスラエルで迅速なワクチンの接種キャンペーンができたのにはいくつかの理由があります。第一に、その即興的な対応です。困難な状況に直面した場合、日本人はおそらく最初はそれを避ける傾向があるでしょうが、イスラエル人はそれを挑戦と見なします。そしてイスラエル人の即興性がその困難に立ち向かいます。おそらく即興性に関して、イスラエル人は世界一です。イスラエル人は混沌の中で繁栄するため、新しいものを発明し、ルールを回避して動き、解決策を「型破りな」方法で考えます。この点でイスラエル人の動きは素早く、形式を無視し、その困難な状況に対面しつつ、走りながら問題を解決していきます。
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手塚治虫の名作の背景に、日本のユダヤ人社会があった
手塚治虫の名作の背景に、日本のユダヤ人社会があった
横浜港からそう遠くはない山手の丘の上にある「外国人墓地」の片隅に、ユダヤ人たちの墓があります。この横浜の外国人墓地は、1859年に設置されました。それは諸外国との交易のために開港してからすぐのことでした。江戸幕府の200年余の鎖国後、19世紀半ばの開国に伴って日本にやって来た外国人の開拓者たちが葬られた墓地です。その中に、何人かのユダヤ人の墓もあります。そしてこれは、近代にユダヤ人と日本人が出会った証拠でもあります。  近代において、ユダヤ人が来日し始めたのは、1853年に米国のペリー提督が開国を迫った幕末の時代です。この時のユダヤ人は米国、ロシア、ポーランドの出身者でしたが、何人かはインドやバグダッド、隣国の中国、香港、シンガポールなどを経由して来日しました。これらのユダヤ人たちはビジネスチャンスを求めて、成長する可能性がある極東貿易のためにやって来たのです。また第2次世界大戦中の欧州からは、ホロコーストを逃れてやって来たユダヤ人たちもいました。来日したユダヤ人の多くは日本に家を構え、生活基盤となるユダヤ人コミュニティーを東京、そして神戸、長崎に設立しました。  歴史的にユダヤ人は貿易に従事することのみ許可されていた時代が長かったため、日本に来たユダヤ人たちが交易を始めたのは特別なことではありませんでした。母国がないまま「離散」という状況を何世紀も続けたユダヤ人たちは、マイノリティー(少数派)としていろいろな地で生きてきました。その歴史は、しばしばその存在を侵害されたり、土地への定住を拒否されたりしてきたのです。貿易業は一カ所に定住しなくとも、ユダヤ人たちが繁栄することを可能にしました。また異なる地を旅することで、ユダヤ人は異文化や異国の言語を習得しました。そして多くの都市や国で築いた人間関係を広げて、国際交易で優位に立つことができるようになりました。  近代になって横浜に最初に来たユダヤ人として知られているのがマークス兄弟です。彼らは英国から1861年に来日しました。徳川幕府によって外国人居留地として設定された小さな漁村、横浜に定住しました。マークス兄弟も貿易に従事し、特にオーストラリアから木材輸入を行っていました。兄弟のひとり、アレキサンダー・マークスはロンドンで発行されていた新聞「ジューイッシュ・クロニクル」に、日本とその文化について紹介する記事を書いています。彼は最終的にオーストラリアで最初の対日本の総領事を15年間務めました。彼の2人の弟たちは、不幸にも1871年、蒸気船ジュリアで横浜から太平洋の島に航海する途中で行方不明になりました。  ラファエル・ショイヤーは米国ボルチモア生まれのユダヤ系米国人の商人で、日本におけるユダヤ人開拓者の一人です。彼は1861年に横浜に定住し、貿易だけでなく、「ジャパン・エキスプレス」という日本で最初の英字新聞を発行しました。また数年間、外国人自治区の代表も務めました。  彼は横浜の外国人墓地のユダヤ人区画に埋葬されています。その隣には、この時代の興味深い人物の墓があります。それがチャールズ・リチャードソンです。彼は1862年9月におきた生麦事件で亡くなったことで知られています。この事件は、4人の英国人(男3人女1人)が、横浜から川崎大師(川崎市)に向かう途中で起きた事件です。今の横浜市鶴見区にある生麦付近で、薩摩藩の島津久光公とその家臣団の隊列と出会いました。4人の英国人はこの著名な一行に対して馬から下りて道を譲ることをしませんでした。この態度は当時たいへん不敬な態度に受け取られ、怒った侍たちは切りつけ、2人が負傷し、リチャードソンは殺されました。  英国はこの事件を知って怒り心頭に発し、一年後に砲艦を派遣して薩摩の中心地、鹿児島を砲撃しました。また薩摩藩と幕府に巨額の賠償金も請求しました。リチャードソンはユダヤ人ではありませんが、彼が埋葬された一角はのちに、私が以前このコラムに書いたユダヤ人ビジネス王、シャウル・アイゼンバーグの援助で、この区画を東京のユダヤ人コミュニティーが一括購入したからです。
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イスラエルは人口の約半分が外国生まれ モロッコとイスラエルの国交正常化を考える
イスラエルは人口の約半分が外国生まれ モロッコとイスラエルの国交正常化を考える
私はイスラエル生まれのイスラエル育ちですが、私の両親は2人とも3600万人が暮らす北アフリカのモロッコ出身です。父はモロッコ南西部の港町エッサウィラのユダヤ人家庭に生まれ、1948年、14歳のときに単身でイスラエルに移民として来ました。父の家族は当初、モロッコに残っていましたが、8年後に合流します。母は砂漠の町マラケシュで生まれ、1956年、家族と共に12歳のときにイスラエルに移住しました。二人はイスラエル南部の小さな町ディモナで出会い、結婚しました。
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あの日を忘れない
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どんな人にも「忘れられない1日」がある。それはどんな著名な芸能人でも変わらない。人との出会い、別れ、挫折、後悔、歓喜…AERA dot.だけに語ってくれた珠玉のエピソード。

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