第1は経済の中枢管理機能とは、金融や貿易成約、大企業の本社機能である。これは東京一極に集める。このために官僚たちは業界別に全国団体を作らせ、各団体の本部事務局を東京都に置かせた。私が通産省に入った1960年代はこの運動の最後の仕上げの段階、大阪にある繊維関係の業界団体を東京に移転させようと大騒ぎしていた。

 通産官僚にとって幸せなことに、1970年ごろから「日米繊維摩擦」が発生、アメリカとの外交交渉のためにも繊維関係業界団体の本部を東京に移すことが条件とされた。当時の繊維局長三宅幸夫氏は「敵は米国に非ず、大阪なり」と明言して憚らなかったほどである。

 同じことは名古屋にあった陶磁器輸出組合や京都にあった伝統工芸振興協会についても生じた。いずれも大騒ぎの末に東京に移転させられる。

 また、銀行協会の会長には、東京に本店のある市中銀行の頭取や会長が就任、大阪本店の住友銀行(現三井住友銀行)や三和銀行(現三菱東京UFJ)は就任できなかった。

 第2は情報発信機能。新聞社や出版社は東京に集める。1950年ごろに書籍取次会社を東京に集中させたのはその一つである。また、民間テレビは、東京の局にしか全国ネットのキー局資格を与えなかった。この政策は21世紀に入って一段と強化されている。

 第3は文化創造活動。これを東京に集めるために特定目的の文化施設―例えば歌舞伎のできる劇場や土俵リングを中央に置いた体育施設―は東京以外に造らせないようにした。

 地方には多目的ホールや長方形の平場のある体育館ばかりを造らせた。「何でもできる多目的ホール」は「何をやるにも最適ではない」のだ。ここでは東京から来た劇団や楽団が文化の滴を見せればよい。地方で文化を育てる必要はない、という発想である。

■頭脳機能を取り上げた代償=米価と交付金と公共事業

 官僚たちは地方から経済の中枢管理機能と情報発信機能と文化創造活動を取り上げた。つまり、地方は農業と製造業の現場として手足の機能に集中させた。その代わり、地方には米価を高く維持して農業を保護し、公共事業をバラまいて建設現場を増やし、工場誘致に努めさせた。

 その一方、経済成長に伴って税収の増える所得税や法人税は国税としたため、経済成長と共に国税収入は増加したが、地方財政は厳しくなった。それを政府官僚は「地方交付金」で調整した。このため、地方自治体は中央官僚に首根っこを抑えられる形になってしまった。

「東京一極集中」は、官僚たちが予算と権限とで築き上げた「戦後体制」の一つなのである。これには歴代総理大臣を含む政治家は歯が立たなかった。地方振興を本気で考えた竹下登内閣が「リクルート事件」という正体不明の噂(うわさ)で潰されたのも、その一つかも知れない。

 今度の安倍内閣はどうだろうか。

(週刊朝日2014年11月7日号「堺屋太一が見た戦後ニッポン70年」連載15に連動)