■だんだん短くなる「1年」

 年を取るに従って「1年」が短くなる。

 1年の実感は「それまでに生きて来た年数分の1」になると感じる。10歳の時は10分の1だが、70歳では70分の1。同じ1年でも7倍の速さで飛び去っていく。高齢者が「つい最近のこと」というのが7年も前だったりするのは、本人の記憶の中では、「昔の1年分」しか時が流れていないからだろう。

 今は私も1年がすっ飛ぶように過ぎ去るが、中学校の3年間、高校生だった3年間は長かった。思い出も多いし、記憶に残る友達もいる。

 私には「恩師」といえるほどの影響を受けた先生はいないが、いまだに記憶に残る先生は何人もいる。偕行社で1、2年担任だった尾崎先生、名柄小学校で終戦の時に担任だった前川先生、そして住吉高校で1年と3年で担任だった大庭先生らは今もすぐ思い浮かぶ。中でも強烈な記憶に残っているのは、住吉高校で社会科を習った森先生だ。

■国際連盟加盟国名を漢字で覚える

 森先生は小柄な色白で甲高い声だった。生徒たちはこの先生に「微青年」というあだ名を付けていたが、ご本人は「美青年」と呼ばれていると思ってご満悦だった。

 この先生は実に熱心で、始業前の早朝に社会科の補講を行うのに、長距離通学の私は閉口した。そこで教えたのが戦前の国際連盟加盟国を当時の条約書の記載通りに覚えよ、という。「当時の記載」とは、外国名の多くを「漢字表記で覚えよ」ということである。

 仏蘭西(フランス)、伊太利(イタリア)ぐらいはまだしも、土耳古(トルコ)、墨西哥(メキシコ)、波蘭(ポーランド)、西班牙(スペイン)となると覚えるのが一苦労だった。

 それでも、大正時代の人々が漢字で外国名を書いたのも故なきことではない。「日イ交渉」といってもその「イ」がイギリスかイタリアかインドか分かり難い。漢字ならイギリスは英吉利だから「日英」、イタリアとなら「日伊」、インド(印度)なら「日印」だ。「西ス条約」でも「ス」がスペインなら「日西」スウェーデンとなら「日瑞」となるので、まぎれがない。

 森先生が何のためにそんなことを覚えさせたのかは分からない。私が高校生だった1950年代前半には、大阪府立住吉高校には個性豊かな先生がいたのである。

(週刊朝日2014年10月3日号「堺屋太一が見た戦後ニッポン70年」連載10に連動)