岡本太郎さんの太陽の塔が立つお祭り広場で1970年3月、開会式があった。いまでもあのときの光景を思い出す
岡本太郎さんの太陽の塔が立つお祭り広場で1970年3月、開会式があった。いまでもあのときの光景を思い出す

 作家・堺屋太一が新しく週刊朝日で連載を始めます。タイトルは「堺屋太一が見た 戦後ニッポン70年」。同連載と並行して、このWEB版では、雑誌の誌面連載で書ききれなかったこぼれ話、コラム、写真などを紹介していきます。
 WEB版の更新は毎週ではなく、不定期ですが、雑誌の連載とあわせて、お楽しみ下さい。

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 「人生は玄(くろ)い冬から始まり、青い春を迎え、やがて朱(あか)い夏に至り、白い秋に入る」

 東洋の古い思想ではそう例えられている。

 私の人生を顧みても、この例えはうなずける。日本の戦後70年もそれに似ている。ただし、私の体験と知識では、四季よりもきめ細かく、ほぼ10年ごとの7期に分けられるように思う。

 玄冬(戦中戦後)の10年の次には、淡い見取り図だけの黄色い時期があった。青春(成長期)の次には熱気と気色悪さが重なる紫雨の季節があった。そして誰もが燃え盛った朱夏の後には、熟れた実が褐色に変わる褐熟の時期があった。そしてそのあとに来た日本の白秋は実りなく終わった。

 太平洋戦争以降の70年間には10年ごとの7色の期間が重なっているように思う。

 そして今、この国はまた玄冬の季節に入った。1860年代の幕末期と1940年代の敗戦混乱期に次ぐ「第3の冬」「第3の敗戦」である。

 過去2回の「敗戦」から、日本は見事に立ち直り、以前よりもはるかに豊かで世界に畏敬(い・けい)される国になり得た。それまでの倫理と体制を改め、新しい文明に適した状況を樹立したからである。

 今また直面する「冬の時代」も、日本と日本人は乗り切るだろう。新しい人類文明に適した倫理と体制を生み出すに違いない。「戦後70年」を振り返り、そんな希望と期待をも語ろうと思う。

(週刊朝日2014年8月1日号「堺屋太一が見た戦後ニッポン70年」連載1に連動)