第30回 戦後官僚主導体制は何を作ったのか
週刊朝日1.戦前は官軍専政、戦後は官僚主導 第2次世界大戦前の日本は、天皇制に名を借りた官僚・軍人専制だった。それが戦後は民主主義の名を冠した官僚主導制になった。 戦争前の体制は、高等文官試験に合格した官僚と陸海軍大学校を卒業した軍人の専政だった。特に昭和に入る頃からは議会や天皇側近による制御も効かなくなる...
1.戦前は官軍専政、戦後は官僚主導 第2次世界大戦前の日本は、天皇制に名を借りた官僚・軍人専制だった。それが戦後は民主主義の名を冠した官僚主導制になった。 戦争前の体制は、高等文官試験に合格した官僚と陸海軍大学校を卒業した軍人の専政だった。特に昭和に入る頃からは議会や天皇側近による制御も効かなくなる...
1972年7月に就任した田中角栄内閣総理大臣は、持論の「日本列島改造論」を実現するために積極的な財政・金融政策を進めた。 そのことは、日本復帰直後の沖縄にも大きな影響を与えた。 何よりもまず土地ブームである。復帰直後から何百人もの不動産業者が沖縄に入り込み、地図を片手に歩き回った。田中首相が就任し...
1.日本のエネルギー政策の迷走 私は1969年に通産(現経済産業)省の鉱山石炭局(現資源エネルギー庁)に配置換えになって以来、常にエネルギー問題を考えて来た。そして今(2015年) も、日本のエネルギー政策が長期展望を欠く点を嘆いている。 戦後のエネルギー政策は、その時の時流で大変化する。エネルギー...
沖縄の日本復帰を祝って開催された国際海洋博覧会。その成果と効果については、今もって様々な議論がある。 政府に反対の立場の人々からは、批判的な評価が多い。I 「失敗」説(1)予想入場者 450万人に対して実際の入場者は 3,486千人。百万人も少なかった。(2)このため、みやげ物が売れ残り、関連イベ...
1972年7月に就任した田中角栄内閣総理大臣は、持論の「日本列島改造論」を実現するために積極的な財政・金融政策を進めた。 そのことは、日本復帰直後の沖縄にも大きな影響を与えた。 何よりもまず土地ブームである。復帰直後から何百人もの不動産業者が沖縄に入り込み、地図を片手に歩き回った。田中首相が就任し...
戦後の内閣総理大臣で特に印象深いのは田中角栄氏だろう。 田中角栄氏が首相を務めたのは1972年7月7日から74年12月9日までの2年5カ月、決して長い期間ではない。それにもかかわらず、その存在感はきわめて強い。それには(1)「今太閤」といわれた出世物語(2)日本列島改造論の爆発的人気(3)日中国交...
■戦後を創った吉田茂 戦後の日本で、長期政権内閣といえば、吉田茂、佐藤栄作、中曾根康弘、小泉純一郎の各氏である。中でも、吉田茂氏と佐藤栄作氏の業績はすさまじい。 吉田氏の場合、日本がアメリカの占領下にあったのだから「あれしか選択の余地がなかった」という見方もあるが、私は必ずしもそうは思わない。一時は...
「人口予測ほど当たり易いものはない。今、20歳の人を数えれば20年後の40歳の人の数はほぼ正確に推計できる。戦争や大事件で大量死亡が出るか、多数の移民が押しかけて急増するかしない限り、20年間の死亡率は安定しているので、今年の20歳の人口から20年後の40歳の人口はほぼ正確に推定できる」とよくいわ...
2014年の今日でも商品先物の分野では、日本は世界に大きく遅れている。 一時は東京・大阪・名古屋に商品取引所があったほか、横浜や神戸にも生糸取引所があった。ところが今は東京工業品取引所と大阪の米取引所だけ、それもきわめて不活発だ。東京工業品取引所は赤字経営のため大阪証券取引所とシステム統合すべしと...
石油輸入が絶えた場合、日本の産業と日本人の暮らしがどうなるか。これを少しでも科学的に予測した調査研究は、私たちがボランティアで行ったもの以外は見たことがない。 この調査には、ボランティア組織ならではの大胆な前提があり、思い切った近似値の採用も多い。その是非を論じ出せばキリがない。私たちが「調査報告...