堺屋太一の戦後ニッポン70年
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第29回 70年代を象徴する3人の政治家 ―田中角栄、三木武夫、美濃部亮吉
1972年7月に就任した田中角栄内閣総理大臣は、持論の「日本列島改造論」を実現するために積極的な財政・金融政策を進めた。 そのことは、日本復帰直後の沖縄にも大きな影響を与えた。 何よりもまず土地ブー
週刊朝日
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第28回 日本のエネルギー政策 ――時期と人で変わる発想と仕組み
1.日本のエネルギー政策の迷走 私は1969年に通産(現経済産業)省の鉱山石炭局(現資源エネルギー庁)に配置換えになって以来、常にエネルギー問題を考えて来た。そして今(2015年) も、日本のエネルギ
週刊朝日
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第27回 沖縄海洋博覧会は成功だったか
沖縄の日本復帰を祝って開催された国際海洋博覧会。その成果と効果については、今もって様々な議論がある。 政府に反対の立場の人々からは、批判的な評価が多い。I 「失敗」説(1)予想入場者 450万人に対
週刊朝日
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第26回 日本列島改造ブームと沖縄(1) ―反対運動
1972年7月に就任した田中角栄内閣総理大臣は、持論の「日本列島改造論」を実現するために積極的な財政・金融政策を進めた。 そのことは、日本復帰直後の沖縄にも大きな影響を与えた。 何よりもまず土地ブー
週刊朝日
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第25回 「田中角栄」とは何だったのか
戦後の内閣総理大臣で特に印象深いのは田中角栄氏だろう。 田中角栄氏が首相を務めたのは1972年7月7日から74年12月9日までの2年5カ月、決して長い期間ではない。それにもかかわらず、その存在感はき
週刊朝日
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第24回 「偉大過ぎた」佐藤栄作内閣
■戦後を創った吉田茂 戦後の日本で、長期政権内閣といえば、吉田茂、佐藤栄作、中曾根康弘、小泉純一郎の各氏である。中でも、吉田茂氏と佐藤栄作氏の業績はすさまじい。 吉田氏の場合、日本がアメリカの占領下に
週刊朝日
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この人と一緒に考える
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第23回 人口推計は当たらない!
「人口予測ほど当たり易いものはない。今、20歳の人を数えれば20年後の40歳の人の数はほぼ正確に推計できる。戦争や大事件で大量死亡が出るか、多数の移民が押しかけて急増するかしない限り、20年間の死亡
週刊朝日
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第22回 商品先物取引について日本は世界に遅れている!
2014年の今日でも商品先物の分野では、日本は世界に大きく遅れている。 一時は東京・大阪・名古屋に商品取引所があったほか、横浜や神戸にも生糸取引所があった。ところが今は東京工業品取引所と大阪の米取引
週刊朝日
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第21回 石油輸入断絶調査のこと
石油輸入が絶えた場合、日本の産業と日本人の暮らしがどうなるか。これを少しでも科学的に予測した調査研究は、私たちがボランティアで行ったもの以外は見たことがない。 この調査には、ボランティア組織ならでは
週刊朝日
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第20回 金属先物取引を実感する
■ローマで「金髪の友人」と再会 1968年の海外旅行の話を続けたい。この旅が次の仕事に絡むからだ。 7月上旬の日曜日、モーリシャスを出発した私は、単身マダガスカル経由でタンザニアのダルエスサラームに戻
週刊朝日
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第19回 万国博出展招請アフリカ旅行
■エチオピアの赤いテント 私は 100回以上海外旅行をしたが、最も記憶に残るのが1968年の「アフリカ・ヨーロッパ40日間」の旅だ。主な目的は日本万国博覧会へのアフリカ諸国の出展招請、2泊か3泊の滞在
週刊朝日
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第18回 1965年―大阪は熱かった!
■難しい万国博覧会の開催「万国博覧会」とは、国際博覧会条約に基づく最大規模の国際博覧会を指す日本語である。国際博覧会条約は、国際博覧会の乱立を防止するために締結された条約だが、何度も改定されているので
週刊朝日
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この話題を考える
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第17回 万国博覧会の功労者
「失敗した事業の責任者はただ1人だが、成功した事業には万人の功労者がいる」という。逆にいえば「あれは俺がやった」という人が増えればその事業は成功なのだ。そんな時、あえて「あれは俺がやった」といい張るの
週刊朝日
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第16回 石田三成の事例 ―小説「巨なる企て」となる
「偉くない人が創る大事業」として、豊臣秀吉に仕えた石田三成の例を挙げた。 実際、この時(1964年)、石田三成に興味を持って本格的に調査したことが、後に役立った。 豊臣秀吉が死んだ慶長3(1598)年
週刊朝日
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第15回 2冊目の著書「日本の地域構造」――東京一極集中に反対
1963年9月に企業局(現産業政策局)工業用水課に配置換えになった私は、ここで2冊目の著書を書いた。「日本の地域構造」(東洋経済新報社)である。 ここでは東京一極集中政策を批判、東京と大阪を二つの焦
週刊朝日
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第14回 通産省の転換期――1960年代前半
■統制官庁から育成官庁へ 戦後、1951年のサンフランシスコ平和条約の締結から60年安保までの間、日本で最も権限を持った官庁は通商産業省だっただろう。 何しろ、ほとんどの物資を統制し、配給する権限を一
週刊朝日
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第13回 1960年頃の通産省 ―戦争中の臭いがあった
1960年、私が通商産業省(現経済産業省)に入った頃は、日本が近代工業社会に向かって必死の岩登りをしている最中だった。通産省はそれを象徴するような役所だった。 通産省は、この年から庁舎が移った。
週刊朝日
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第12回 「60年安保闘争」 ―戦後体制への異議申し立て
私の大学生時代の4年間のほとんどは岸信介内閣、つまり戦後体制の確定期といえる。 戦後の日本には明確な国是が二つあった。国家のコンセプトといってもよい。 第1は、「西側アメリカ陣営に属して経済大国・軍
週刊朝日
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