第53回 (1/4) |AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

第53回

文・白石一文

プロフィール  バックナンバー

このエントリーをはてなブックマークに追加

※本作「プラスチックの祈り」(白石一文・作)は、2016年4月~2017年4月まで、「週刊朝日」と「AERA dot.」で連載されました。「小説トリッパー」2018年秋季号と2018年冬季号で、この物語の続編「プラスチックはその後 前編・後編」を掲載するにあたり、「プラスチックの祈り」を一挙再掲載いたします。


「ペットショップ
にいた女性の名前だよ。彼女が川添さんの娘なら名前くらい知らないはずがないと思うんだ」

「たしかにそうかも」

 それにしても川添凛子が「川添」という苗字だというのも奇妙ではあった。

 自分にとって「川添」と言えば、失踪した「川添晴明」以外にいないはずではなかったか。

「晴子……」

 無意識に名前が口をついて出ていた。

「晴子、だった気がする。日本晴れの晴に子供の子で晴子」

「川添晴子さん、ですか?」

 苗字だけでなく、「晴」という文字まで川添と同じだというのか?

 自分で口にしておきながら、そんな偶然があるはずがないと思う。しかし、彼女の名前は確かに「川添晴子」だった。

 というのも、熊田教授の一人娘と結婚した川添氏の下の名前を同時に思い出したからだった。

 彼の名前は、「川添晴久」。

「晴子」は、その父親の名前から一文字を貰って名付けられたのだ。

 ──川添晴久は、川添晴明の父親の名前ではないのか……。

 だが、こうして明瞭に記憶を取り戻してみれば、川添晴久は原田石舟斎(信夫)の医学生時代の親友であり、熊田凛子の夫に間違いなかった。

 原田の親友の名前と自分の親友の父親の名前とがまったく同じなどという偶然はますますもってあり得るはずもなかった。

 川添晴久、川添凛子、川添晴子という一家は実在していた。

 そのことはいまや確信をもって断言することができる。

 一度、改変、歪曲されてしまった記憶を正しい筋道に沿って修正したのだ。そうやって回復された記憶が間違っている可能性は非常に低いだろう。

 ──原田信夫の親友、川添晴久がドイツ語教師の熊田泰男の長女である熊田凛子と結婚し、一人娘の晴子をもうけたあと急逝した。若くして未亡人となった親友の妻を原田は物心両面で支援し、凛子は渋谷の道玄坂小路に小さなスナックを出して娘との生計を賄う。だが、晴子が成長するにつれて夜の仕事には不都合が多くなり、凛子は商売替えを図ろうと原田に相談。それならば自分の親しい夫婦に店を任せて賃料を貰えばいいと勧め、原田は我々にその話を持ち込んできた。開業資金は用意するからと強く誘ってきたのだ。

 そうやって小雪はワインバーを始め、店は彼女の料理の腕前のおかげもあって繁盛する。一方、川添凛子の方はその後さまざまな商売に手を染めるが、雄猫の虎太郎(虎太郎はもとは凛子の父の泰男が我が息子に付けようと考えていた名前だった)を拾って飼い始めたことをきっかけにペット用品の製造販売を成城で始める。店の名前は虎太郎と自分の名前から一文字ずつ取って「寅凛」とした。

 凛子たちの住んでいた成城学園の一軒家の庭に雌猫が置いていった虎太郎そっくりの子猫がルミンで、自分たち夫婦はその話を聞きつけて、凛子からルミンを譲り受けることにしたのだった。

 やがて作家デビューを果たし、十分な原稿料収入を得るようになると小雪はワインバーをやめて家事に専念するようになった。道玄坂に通うために借りていた代官山のマンションを引き払い、凛子の住む同じ成城に家を買って、ルミンと一緒に引っ越したのだ。それからも凛子との付き合いは続くことになった……。


(更新 2017/4/ 1 )


バックナンバー

コラム一覧

続きを読む

このエントリーをはてなブックマークに追加

プロフィール

白石一文(しらいし・かずふみ)

 1958年福岡市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。2000年『一瞬の光』でデビュー。09年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で第22回山本周五郎賞受賞、10年『ほかならぬ人へ』で第142回直木賞受賞。著書に『僕のなかの壊れていない部分』『私という運命について』『この世の全部を敵に回して』『神秘』等多数。最新作は『光のない海』。

あわせて読みたい あわせて読みたい