第29回 “缶”動の缶詰 |AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

第29回 “缶”動の缶詰

文・鈴木正晴

プロフィール  バックナンバー

このエントリーをはてなブックマークに追加
津波で流された工場跡に残っていた缶詰

津波で流された工場跡に残っていた缶詰

スダさんが東京に運んできた缶詰を、ボランティアの方々が丁寧に洗います

スダさんが東京に運んできた缶詰を、ボランティアの方々が丁寧に洗います

缶詰を洗浄しているところ

缶詰を洗浄しているところ

日本百貨店で販売再開予定の「きぼうのかんづめ」

日本百貨店で販売再開予定の「きぼうのかんづめ」

 日本百貨店が誕生したのは、2010年12月10日。あの東日本大震災の3カ月前です。皆さんそれぞれに震災の記憶があるかと思いますが、我々にも、今思い出しても胸が締めつけられるような、さまざまな出来事がありました。

 まずは目の前のできることをやろうと、東北の取引先で連絡がつくところから商品を取り寄せて販売しようとしたのですが、誕生したばかりの日本百貨店、震災の影響もあり、お客さんはほとんど来ません。そこで繁華街にある商業施設にお願いして、軒先でイベント販売をし、売り上げを取引先に送金……。小さなことですが、じっとしていられずにそんなことを繰り返していました。

 同じ頃、東京都世田谷区にある経堂の町おこしを担っているスダさんは、親交のある石巻の缶詰工場が津波で全壊し、工場跡地に泥まみれの缶詰が埋まっていると聞いて、その缶詰を東京に運び込みました。泥の臭いにもめげず、ボランティアの皆さんと一缶ずつ磨き、商品として販売。誰が呼び始めたのか、そのサバの缶詰は「きぼうのかんづめ」と呼ばれ、石巻と経堂を結びつける存在になりました。今でもその結びつきは街のいたるところに見られます。あんなに石巻の食材を使う飲食店が多い街は、経堂の他に知りません。

 石巻の缶詰工場は、スダさんたちのサポートもあり徐々に生産活動を再開し、震災復興の募金活動も兼ね、きぼうのかんづめの販売を始めました。2011年末までに約20万缶を販売し、日本百貨店でも、遅ればせながら震災から2年が経った2013年に販売を始め、たくさんの人に購入いただきました。

 それから1年後、きぼうのかんづめの製造が終わり、なんとなく震災の話も聞かなくなり、忘れているわけではないのですが、被災地について真剣に考える時間が減りました。

 ですが、今年の春先です。石巻にいる友人のタカサゴさんから聞いた一言に衝撃を受けました。

「何にも復興なんか進んでないですよ。何にも変わってないんです。一つもよくなってない」

 すぐに缶詰工場に連絡して、全部責任もって買い取るからとお願いして、きぼうのかんづめを復活してもらいました。3000缶。全部買い取りました。日本百貨店のスタッフみんなに相談しましたが、誰一人反対せず、受け入れてくれました。うちみたいな小さな会社が、3000もの1種類の缶詰を売り切るなんて、本当に気の長い話なんです。だけどヤツラは、3カ月で売り切ってくれました。店舗同士で声を掛け合って、積極的に売ってくれました。そして今また、3000缶を発注しようかという話になっています。頼もしいヤツラだぜ。

 被災地の変わらぬ現実に思いをはせながら、ぜひ多くの方に手にとっていただきたいと思っています。


(更新 2015/12/ 9 )


バックナンバー

コラム一覧

続きを読む

プロフィール

鈴木正晴(すずき・まさはる)

 株式会社日本百貨店・代表取締役社長、ディレクター兼バイヤー。1975年神奈川県生まれ。1997年東京大学教育学部卒業後、伊藤忠商事株式会社に入社。アパレル関連の部門で、海外とのビジネスを多く経験する中で、国内の“モノ づくり”文化に根差したすぐれものをより広いマーケットに広める一助となりたいと考え、2006年3月伊藤忠商事を退社。2006年4月に株式会社コンタン(現・株式会社日本百貨店)を立ち上げる。2010年12月には東京・御徒町に、日本の優れものを集める小売店“日本百貨店”を オープン。食・雑貨・衣料雑貨など、全国から様々なこだわりの商材を集め、作り手と使い手の出 会いの場を提供している。著書に「日本百貨店」(飛鳥新社 2012/12)

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事
あわせて読みたい あわせて読みたい