福岡県古賀市にある、増田桐箱店の工場の外観
福岡県古賀市にある、増田桐箱店の工場の外観
社長のフジイくん、28歳
社長のフジイくん、28歳
工場内部の様子
工場内部の様子
ある人間国宝の陶芸家専用に設けられた資材置き場
ある人間国宝の陶芸家専用に設けられた資材置き場
「くぎ打ち」という工程。楊枝のようなもので箱を固定しています。高級品になると、接着だけでなく、このような職人技が入ります
「くぎ打ち」という工程。楊枝のようなもので箱を固定しています。高級品になると、接着だけでなく、このような職人技が入ります
箱を組み立てる工程
箱を組み立てる工程
増田桐箱店の看板
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鈴木さんおすすめ 日本百貨店「増田桐箱店 kirihaco 米櫃」のご購入はこちらから
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 福岡県古賀市にある増田桐箱店。創業80年の桐箱工場です。贈答品用や衣装ケース、食品用など、ありとあらゆる桐箱を作ります。実際に工場に足を運んでみると、作っているのはほとんどが業務用の桐箱。僕らのお店で扱っている商品の箱も作っているのを発見! なんだかうれしくなりました。

 社長のフジイくんは28歳。日本百貨店では、フジイくんが「生活に取り入れられる桐箱をつくりたい」と開発した、桐の米櫃を販売しています。野菜保存箱やカッティングボードなど、これからどんどん品数を増やす予定です。

 フジイくんのご先祖は、広島で150年も桐箱屋を営んでいたのですが、博多織の衣装ケースを作ることになり、昭和の頭に福岡県に移りました。もともと桐箱屋は、三大家具の産地と言われる春日部(埼玉)、府中(広島)、大川(福岡)のあたりで盛ん。家具屋の材木の余りが下駄屋にいって、下駄屋のゴミ箱を漁るのが箱屋だ、と言われていたそうです。

 そんな中、フジイくんのおじいさんは「ただのパッケージ屋のままだといつまでも裏玄関だ。表玄関から入れる商売にしよう!」と考え、茶道具や、一点ものの高級な陶器の外箱などを作り始めました。今では表千家や裏千家の流派の方、人間国宝の陶芸家らがこぞってフジイくんの会社に発注をしています。

 木材置き場には、ある人間国宝の陶芸家専用の置き場があり、その方に合いそうな木材が出てくると、発注も受けていないのに、どんどんそこに保管しているそうです。そして、必ず5年は寝かせて、品質を安定させる。通常の桐箱を寝かせるのは1年程度で、それでも品質として問題はありません。けれども、最高級品の箱にはとことんまでこだわっています。

 贈り物の入れ物として高級なイメージのある桐箱。中国を始め、今や世界中で桐が採れますが、桐箱の文化は日本のみだそうです。その特長は、軽く、燃えにくく、湿気を防ぎ、虫が付きにくいこと。収縮率も少ないので、いつまでも使い続けることができます。フジイくんが倉庫の掃除をしていたら古い桐の箱が出てきて、開けてみたら中には昭和初期の新聞が。普通に読める状態で保管されていたそうです。

 この桐の性能の素晴らしさを知ってもらいたい。そしてもっと桐箱をつかってもらいたい。同世代のヤツラに、「おまえなにしよーと?」と聞かれたときに、自分がつくった桐箱を見せる。それで、「ああ、これお前がつくりよるんか!」と言われたい。それがフジイくんのモチベーションです。

「同じ大きさでも、300円の桐箱も3万円の桐箱もある。この違いは、作り方のコダワリや、材料の管理手法の差だと、一つ一つ説明が出来るんです。桐箱の奥深さを知るにつれ、同世代に自慢が出来る仕事だなと感じた。だから桐箱屋になりました」

 そのため、単にたくさん売ることは考えていないフジイくん。

「たくさん売るから、というだけのお店さんとはお付き合いしていません。目の前でお客さんに説明して、桐の本当の良さを知ってくれる人が少しずつ増えれば、うちの桐箱もたくさん売れますよ、ずっと! だから日本百貨店にどんどん実演販売に行きたいんです」

 むむっ。この情熱、若いね!

 かつて、裏口商売と言われた桐の箱屋さん。それが表玄関に立ち、これからは消費者と直接触れ合っていく。様々な素材が開発されて、桐箱の実需は減少しているはずなのに、前を向いて攻めていく桐箱屋。日本百貨店は、そんなフジイくんが使い手に思いを伝える場であり続けたいと思います。