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第5回 世界のIMABARI 産地で感じた“底力”

文・鈴木正晴

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しまなみ街道の四国側の起点である今治

しまなみ街道の四国側の起点である今治

市内中心部に立地する今治駅

市内中心部に立地する今治駅

今治城からは瀬戸内海を眺望できます

今治城からは瀬戸内海を眺望できます

大正時代の今治の風景

大正時代の今治の風景

 日本百貨店の鈴木正晴です。日本のモノヅクリとスグレモノがテーマの日本百貨店。2014年の12月で4周年を迎えました。作り手、使い手、そして我々伝え手。それぞれに支えられ、成り立っている場所です。是非皆様も遊びにいらしてください。

 さて5回目のコラムです。今回は、今や世界ブランド“IMABARI”となった愛媛県今治市をご紹介します。

 今治と言えばタオル。いつの間にかすっかり定着していますが、15年前はこれほどの知名度はなかったかと思います。今では海外の超一流ホテルのタオルが今治産であるとか、地場のタオルメーカーが海外に小売店舗を出店するなど、話題に事欠きません。それは一見、品質の良さという前提の上で、著名なデザイナーを用いたブランディング、お金をかけたプロモーションの結果のように見受けられます。

 しかしながら、産地に実際足を運んでみて感じるその“底力”は、今治を「世界ブランド」に押し上げるに余りあるものでした。

 今治のタオル生産のルーツは明治27年にさかのぼります。原材料(綿花)の調達ルートが確立していたことや、土地の水(軟水)がタオルの製造に合っていたことなどから、この地でタオルが作られるようになりました。

 原材料の綿花は、紡績され糸になります。その糸をタオルの原料として使えるように精錬・加工し、織り上げます。必要に応じて染色や洗い加工を施したり、縫い上げたりします。今治では、その大工程がいくつもの中小工程に細分化され、それぞれの工程を、それぞれのプロフェッショナルである会社と、地元の主婦を中心とした内職工が担います。今治一帯をぐるりとまわるだけで、糸が立派なタオルに変わります。すべてがその一帯で完結するのです。

 現在では、原材料を他の土地に頼っている部分もありますし、また軟水が流れる土地も、ほかにいくらでもあります。タオルを織る機械は、お金を出せばそろえることができます。ところが、別の土地で同じ機械、同じ原材料、同じ水を使っても、絶対に今治のタオルと同じものはできません。それを“底力”という表現で呼んだのですが、それは、その地に積もり積もったノウハウであり、分業制により生まれた各分野のプロフェッショナルの仕事なのだと思います。内職工一つとっても、その仕事を土地で受け入れるという土壌が育っているのです。

 産地が疲弊する、という言葉がありますが、産地には人・場・ノウハウが詰まっています。一度そのツナガリが失われてしまうと、決してもとに戻すことはできません。産地の中の一つの企業が潤うのではなく、産地全体として盛り上がっていく。前回のコラムでお話した繊維加工の街・群馬県桐生市でも感じたことですが、日本の産業を守っていくには、そんな形での産業振興であり、地場振興が必要なのだなと感じます。

※次回は、鈴木さんがおすすめする今治産のガーゼショールをご紹介します。


(更新 2015/4/28 )


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プロフィール

鈴木正晴(すずき・まさはる)

 株式会社日本百貨店・代表取締役社長、ディレクター兼バイヤー。1975年神奈川県生まれ。1997年東京大学教育学部卒業後、伊藤忠商事株式会社に入社。アパレル関連の部門で、海外とのビジネスを多く経験する中で、国内の“モノ づくり”文化に根差したすぐれものをより広いマーケットに広める一助となりたいと考え、2006年3月伊藤忠商事を退社。2006年4月に株式会社コンタン(現・株式会社日本百貨店)を立ち上げる。2010年12月には東京・御徒町に、日本の優れものを集める小売店“日本百貨店”を オープン。食・雑貨・衣料雑貨など、全国から様々なこだわりの商材を集め、作り手と使い手の出 会いの場を提供している。著書に「日本百貨店」(飛鳥新社 2012/12)

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