手ぶり刺繍の様子
手ぶり刺繍の様子
社長のサクマさん(奥)
社長のサクマさん(奥)
イシハラさん(左)とサクマさん(右)
イシハラさん(左)とサクマさん(右)
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 日本百貨店の鈴木正晴です。日本のモノづくりとスグレモノをテーマとした出会いの場、“日本百貨店”。今回は都心の近くにある、モノづくりの街、“桐生”をご紹介したいと思います。

 群馬県桐生市。桐が生きると書いて“きりゅう”。名前がすごくきれいで特徴的です。甲子園の常連校の名前として記憶されている方も多いかと思います。

 初めてこの街を訪れたのはもう8年も前になります。「手ぶりの刺繍工場がある」。そう聞いてその工場のおやじさんに会いに行きました。刺繍はおばあちゃんが椅子にゆらゆら座りながら、ちくちくと一針一針縫いつけるようなイメージもありますが、その頃はすでに機械化が進んでいて、パターンを入力すると機械が自動的に刺繍を縫い上げてくれる。それが主流でした。一方手ぶりと言うのは、刺繍専門のミシンを使って絵柄を縫いこんでいくもの。足のペダルで運針のスピードを調整しつつ、生地を手で回しながら縫い進めます。このミシンを扱える職人もどんどん減る中、日本が世界に誇る技術として、その手ぶりを未だに商業ベースで続けていいます。しかもきちんと利益を上げている。そんな気骨ある工場が存在していると聞き、是非その考え方を聞いてみたい、何かヒントを得たい。必死でした。

 といいますのも、“日本のいいものを海外で売りたい!”という思いだけでサラリーマンを辞めてみたものの、何をしていいのかわからず試行錯誤の毎日。思いだけが先行し、本当の日本のイイものって何だろう、自信をもって売れるものって何だろうと、ちょうど焦っていた時期だったのです。そしてたどり着いた刺繍工場。社長はイイ感じに肩の力が抜けたサクマさん。一通り工場の説明を受けて、自慢の手ぶりの刺繍を見せてもらった後で、色々とお話を伺いました。

 着物の街として有名な桐生は、昔、和製シルクロード(横浜と富岡製糸場をつなぐ、絹の輸出ルート)の起点として、非常に栄えたコト。それは豊富な自然ときれいな水、という土地の利だけではなく、住んでいる人たちのまじめな性根が、産業の発展に大きく寄与したというコト。いまだに桐生では街の中を3kmも歩けば、糸から布から縫製から刺繍、後加工まで、すべてのアパレルに関する工程を担当する町工場があり、どんな製品でも出来上がってしまうコト。アパレル以外にも、昔住んでいたお金持ちに向けての装飾品や手すき和紙の職人、飲食店など(何と山の中なのにたくさんのうなぎ屋さんがある!)驚くようなレベルの高いモノが集まっているコト。

 そして、昔からこの街に住んでいて、だんだんさびれていくのが本当に寂しい、自分たちの力があるうちに、もう一度いいものを発信して、モノヅクリの街として生きていきたいコト。

 そんな一つ一つの飾らない言葉が、何かやらなきゃ、やらなきゃと必死だった僕を少しずつ脱力させてくれました。そしてそんないいものなら続けてもらいたい、だからこそ、そこにお金がきちんと廻る仕組みを作りたい。そう自然に考えるようになったのです。

 そしてもう一人。サクマさんの友人としてご紹介されたイシハラさん。この方は桐生市の職員です。市役所の人というとなんだかハンコばかりついているようなイメージが当時はあったわけですが(失礼)、それは僕の経験不足というもの。イシハラさんは本気で、自分の出身地である桐生という街が、もう一度元気になれるようにと、全国を飛び回っている熱い男だったのです。3人でたくさんの話をし、街を廻り、多くの桐生のモノやヒトに出会い、そして最後に、お二人が、何の実績も、まだ何も始めていない僕に向かって、異口同音におっしゃいました。

「鈴木さん、桐生を元気にするのに、力を貸してください」

 元気にしてください、ではないんです。元気にするから!ちょっと手伝ってよ!そんな軽さと熱さが混ざった、本気の一言でした。

 それ以来、僕は桐生が大好きで、桐生の本当にいいものを、全国に、そして世界に発信する力に少しでもなれればと、毎日思っています。

 地域の街の問題点やその本質を、初めて考えさせられたのがここ、桐生の街でした。そういう意味では、日本百貨店の原点の原点であるかもしれません。