最近とあるソーシャルゲームにハマった。
 ソーシャルゲームとは、ソーシャルネットワーク上で遊べるゲームで、ユーザー同士でランキングを競うなど、自分ひとりで遊ぶだけでは味わえない楽しみがある。
 私は弱いので、どうしてもお助けグッズを手に入れないとクリアできない。でもお金を払ってでも遊びたいと思えるほどに面白くて、ついつい1000円も課金してしまった。

 このゲーム、ユーザー同士で協力しないと先に進みづらい。たとえば「ネジを30個集めるように」と言われると、ひとりではかなりの時間がかかる。でも複数の友達からネジを分けてもらえば、さっさと完了させることができるのだ。

 見知らぬ人を助けたり、助けられたりのこの小さな親切の積み重ねのようなところが、楽しくてしかたがない。それに、人に親切にするとポイントがつき、ある程度たまると宝箱となる。良いことをしてさらにトクをするのだから、ものすごく画期的なシステムである。

 しかし個数制限があり、友達が増えてくると全員には贈れなくなる。
 その時私は自分よりゲームレベルの高い人に優先的に品を贈る作戦に出た。彼らしか持っていないレアアイテムを分けていただきたい一心で、日参しては贈り物を捧げ、自分を覚えてもらおうと頑張ったのだ。なんだかゴマをすっているようだけど、でもこれが私なりの生き抜く知恵なのである。

 けれど先日、娘が同じような、アイテムを贈り合うゲームをしていることが判明した。彼女は受験生なので毎日は遊んでいない。それなのに、豪華なアイテムを持っているではないか。

「ど、どうしたのこれ。まさかあなた、課金したんじゃないでしょうね!?」
 自分は課金しているくせに、子どもが課金するのは認めない理不尽な母親に、娘はしれっと言った。
「そんなもったいないことしてないよ。すっごくアイテム持ってるベテランのお友達がいて、いつもいろいろ分けてくれるんだ」
 彼女は数十人にスリスリするより、リッチなひとりと親しくなることを選んだのだ。

 娘の要領の良さに驚きながらも、私は母親としてクギをさした。
「知らない人に自分の電話番号を教えたり、会ったりしてはいけませんよ」
「わかってるよ、うるさいなあ」
 むくれる娘を見ながら、この子は将来どんな男性を選ぶのだろうといろいろ想像してしまった私なのだった。