昨年の10月30日に夢を書いた。宮城県大崎市には真っ黄色に塗られたポストがある。知り合いでビジネスコンサルタントの青山華子さんが『幸せの黄色いポスト』と呼ばれるそれから投函してくれるというので、何かいいことがありそうだと、張り切って書いたのだ。

 私は未来の自分へ宛てて、
『2時間ものの舞台の脚本を書きたい!』
 と決意を綴った。そして何日か後、皆の決意を書いた手紙が黄色いポストから我が家へと届いた。
 夢を実際に書くとスイッチが入ると言われるけれど、その時の私はまさにそんな感じだったのだと思う。自分からの手紙を読みながら、しみじみと(ああ、脚本書いてみたいなあ)と考え、どうしたらいいか自分なりに真剣に考えた。

 それから約10ヶ月後の今日まで、私は毎週のようにお芝居やお芝居を映画化した作品を観続けてきた。その数は50を超えると思う。そして楽屋などで関係者さんたちにお会いするたびに「いつか脚本を書きたいんです」と口に出し続けてきた。今の自分では到底むりだけど、いつかきっと、と。
 そして思いがけず私の夢は叶えられた。とある演劇関係者さんから『内藤さんのような人を探している人がいる』と連絡をいただいたのだ。

 なんと、イケメン舞台のための脚本の書き手を探している興業主さんがいるというのだ。「誰かいい人いない?」と聞かれた知人は、真っ先に私のことを思い出したという。

 日頃から「脚本を書いてみたい」と周囲に言っていたからこそ夢が叶った。私がこのことを公言していなかったら、彼女は私のことをずっと小説しか書かないと思っていただろうから。

 良いこととは続くもので、翌日は審査員の依頼を2本もいただいた。日頃から「審査員という職業になってみたい」と言っているので、審査員をやりたいのだろうと誘っていただけたからだと思う。

 それにしても自分の脚本が来年の春に上演されるなんて夢みたいで、この幸福感をおすそわけしたくて、被災地に贈る花のプランター代を寄付した。ガレキをリサイクルして作ったものだという。どうか私の脚本家としての才能も花開きますように、と願いをこめて、10000円を振り込んだ私だった。