第13回 小泉今日子はなぜ太宰治のファンで、三島由紀夫をきらいなのか (3/5) |AERA dot. (アエラドット)

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第13回 小泉今日子はなぜ太宰治のファンで、三島由紀夫をきらいなのか

文・助川幸逸郎

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原宿百景

小泉今日子著/写真・若木信吾

978-4884182946

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■小泉今日子を「太宰治派」にした「母親とのかかわり」

 小泉今日子は、太宰治に共感し、三島由紀夫には反発します。太宰と三島の違いは、どこに由来するのでしょうか? ひとつの理由だけから説明しきれませんが、「生家での立場」の影響は大きかった気がします。

 三島の父親は農林省の官僚、太宰の実家は津軽の大地主です。どちらも一般の庶民から見れば「いい家」の生まれといえます。ただし、三島は「跡とり息子」であるのに対し、太宰は六男(11人きょうだいの10番目)でした。津軽地方では、長男とそのスペアである次男だけが、他の子どもより大切にされていました(たとえば太宰のきょうだいでは、長男と次男だけに個室が与えられていました)。太宰自身、自らの生家における立場を「津軽の『オジカス(=よけいものの叔父さん)』」と自嘲しています。

「跡とり息子」だった三島由紀夫は、「家族が自分に期待する役割」を、いつも感じながら育ったはずです。「注目を集めている状態」が、子ども時代の三島のデフォルトだったのです。自分を見せびらかすような筆致も、「目立つ役割を演じること」が、幼時からの習性だった点におそらく由来します。

「よけいな子」であった太宰は、三島と育ち方が異なります。黙っていては自分の主張が通らないうえ、口論や腕っぷしでは、周りが年上ばかりなので勝てません。そうした環境で「居場所」を確保するには、時々の状況を見極め、「最適の振るまい」を探す必要があります。

 太宰の「世間に対して自分を演じる道化感」は、この「『いらない子』に特有の環境」から生まれたものです。「自分が今、どう振るまうべきか」を客観的に見極める。幼時からそれをくり返した結果、「他人の日記」と「過去の自作」を、おなじ冷徹さで眺めるまなざしを得たのです。

 小泉今日子は、三人姉妹の末っ子でした。「女ばかりのきょうだいのいちばん下」は、一般的にはわがままが許されやすいポジションといえます。家族のなかでは最年少。かといって、とくに優遇される可能性のある「跡とり息子」は家にいません。

 にもかかわらず小泉今日子は、異常なまでに自己主張を控える子どもだったようです。

<私は、案外引っ込み事案な子供だったんだと思う。言いたいことを上手に言えない子供だった。感情表現がヘタクソだったと思う。でも親からは手のかからない子だったという評価だった。でも地味に主張してたんだなこれが。大人になった今気づいたことは、食べ物の好き嫌いについて。(中略)子供の頃の偏食、あれは一種の甘えだったってことに。私は末っ子よ、年のわりにはしっかりしてるかもしれないけど、いちばん小さい、いちばん子供の末っ子なのよ。わかってぇ! 気づいてぇ! かまってぇ!っていう自己主張。結構大きくなるまでおねしょ癖が直らなかったのも自己主張! 夢遊病だったのも自己主張!>(注4)

 筆致は軽妙ですが、「手のかからない子」を必死で演じるあまり、神経症気味だったことがうかがえます。


(更新 2015/9/ 2 )


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プロフィール

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)

 1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など

※当コラムをテーマにした、助川幸逸郎先生の講座をよみうりカルチャー自由が丘で開催
http://www.ync.ne.jp/jiyugaoka/kouza/201504-01210123.htm
問い合わせは同センター 03-3723-7100

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