■「主役でない自分」を演じてみる

 世紀の境目を支配した「ダークな文化」は、音楽シーンも席巻しました。「傷ついた自分」と「汚れた『世界』への怒り」を歌いあげる女性シンガーが、この時期に何人も現われています。

 彼女たちの多くが、現在、第一線から消えています。「トラウマ告白本」の著者と同じく、このタイプの歌手は「自分が主役の悲劇」を語っています。彼女たちを支持した層も、「トラウマ告白本」のそれと重なります。「過剰な自己重要感」ゆえに「世界」を呪詛した人々です。

誰からも愛され、つねに「主役」として振る舞っていた「若い自分」を、「身近な死者」に仮託して哀悼する。そういうかたちで過去に訣別する儀式を、小泉今日子は著書『原宿百景』で行いました。「トラウマ告白本」の著者や「『世界』に怒る系」シンガーが、小泉今日子と同じことをするのは困難です。「自己重要感」への執着が活動の鍵になっているので、「主役」を譲ることは、表現行為の動機そのものの否定につながるからです。

「いい女」は、若い時代には常に「自分が主役」です。その状態からいきなり完全撤退することは、弊害が大きいばかりで得るものはありません。ただし、注目される立場とは別の役割を引きうける機会も、徐々に増やしていくことが必要です。同僚を援助して花を持たせたり、後輩にアドバイスを送って引き上げたり――そうしたことも試みていかなければ、長く輝きつづけることはできません。

 現在も小泉今日子は、「最後から二番目の恋」シリーズなどで、自ら「主役」を演じています。一方で、「あまちゃん」をはじめ、若手を光らせる役割でも成果をあげています。いつまでも「主役」ばかり演じようとして、他人をサポートする立場に回らない。その結果、「イタイ人」として扱われるようになり、「主役」も「脇役」もまかせてもらえなくなる。そういう「ダメ中年」と対照的なポジションに、小泉今日子はたどりついています。

 小泉今日子は、「36歳の危機」を脱したころ、20歳年下の亀梨和也と交際していました。「主役」以外を演じることができたから若者を魅了できたのか、亀梨とつきあう中でそれを学んだのか。その点について小泉今日子は何も語りません。若さの絶頂にいる恋人とかかわりながら、「主役」でありつづけるこだわりを諦めて、「手放すべきもの」と真剣に向きあった。事実としていえるのはそこまでです。ただし、「本当に若い人間」と身近に接したことで、小泉今日子に変化が生まれたことは十分想定できます。

 現在の小泉今日子は、TPOに応じて、どんな立場にも移動できる自在さを身に着けています。最近、久しぶりに恋愛スキャンダルが報じられましたが、噂の男性は同世代でした。ニュースの真偽はわかりませんが、どういう年齢の相手とも「いい関係」を築ける懐の深さを、彼女が備えたように感じました。

※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました
 
注1 『小泉記念艦』(音楽専科社 1986)
注2 「小泉今日子ロングインタビュー 目指すは中年の星!」(「AERA」2008年9月22日号)
注3 「小泉今日子インタビュー」(川勝正幸『ポップ中毒者の手記(約10年分)』2013年 河出文庫)