■「おくり人」小泉今日子

 それでも小泉今日子は、「トラウマ告白本」を書きませんでした。<トンがったこと>を<自発的に発信するタイプではない>。彼女は自分を、そう分析しています(注3)。身をもって経験した悲惨な出来事を書くことは、向かないと判断したのでしょう。

 小泉今日子は、過去とシリアスに向きあうとき、「トラウマ告白本」とはまったく違うスタイルをとります。その実例が、2007年から2010年にかけてのエッセイと対談をまとめた『原宿百景』です。この本の帯には、よしもとばななによる「推薦のことば」が刷られています

<キョンキョンのあまりの文のうまさと、あまりの暗さに驚く。底知れない美しい暗さだ>

『原宿百景』に集められたエッセイは、「身近な死者」について語ったものが過半を占めます。アイドル時代に彼女が住んでいた部屋の、扉の前に捨てられていた。彼女の父親。彼女の母方の祖母。かつて彼女の恋人だった人の母親。後輩アイドルで、若くしてみずから命を絶った岡田有希子にも一章があてられています。

 とりわけ印象的なのが、小泉今日子の子ども時代、彼女の三軒先に住んでいたリッチくんをめぐる一編です。この男の子にはよほどこだわりがあるらしく、他の著書でも再三、彼について触れています。

<みんなは強くてかっこいいリッチくんが好きだった。あたしは、弱くて悲しいリッチくんを知っていることが怖かった。リッチくんも、それを知っているあたしが怖かったに違いない。(中略)十八歳の時、リッチくんは突然消えた。車の中で発見されたリッチくんはとてもキレイな顔をしていたという。日暮れの闇に消えてしまいそうだったリッチ君は本当に消えてしまった。たった一人で排気ガスを吸って。ずいぶん時は流れたけれど、リッチくんのお墓に行くといつでも新しいお花と煙草がお供えしてある。リッチくんはあたし達の青春の記念碑になってくれた。だからあたし達は大人になれた。リッチくん、三軒先より空の上の方がよっぽど近い気がするよ。変なの>

 この『リッチくんのバレンタイン』を書いたのは、小泉今日子が「中年の星」のような扱いを受けはじめたころです。年齢も40歳を越え、「36歳の危機」は克服されつつありました。

 小泉今日子は、「36歳の危機」を迎える以前から、「若さ」こそ「死」に近いと考えていました。そして、「死への憧れ」を断念することを、「大人になる条件」とみなしていました。31歳のときに出版された『パンダのanan』にはこう書かれています。

<今の私は10代の人達の儚く消えてしまいそうな魅力にクラクラとノックアウトされるだけ。いろんな経験や出来事が血となり、肉となってしまった今、海の泡になってしまいたいという気持を胸に抱いている事はズルイ事なのだと思う。反則なのだ>

 若者は、この世の秩序に組みいれられていない分、「この世の向こう側=死」の近くにいます。これに対し、大人は社会の中にポジションを持ち、そこで力を発揮するすべを知っています。だとすれば、「大人」でありながら「死=俗世の縛りから逃れること」に憧れるのは、小泉今日子のいうとおり<反則>です。

 この世に居場所がなかった――それゆえ純粋でまぶしかった――リッチくん。40代になった小泉今日子は、彼を<青春の記念碑>として描きます。おそらく彼女自身の「死に近い部分」と訣別するために。

小泉今日子は、死者たちを見送ることを通して「自分が手放さなくてはいけないもの」と向きあいました。『原宿百景』の<あまりの暗さ>は、それが容易な作業ではなかったことをうかがわせます。それでも彼女は、「自分が諦めたもの」への「喪の作業」を完了させ、「36歳の危機」を切り抜けました。

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