第8回 小泉今日子はいかにして「36歳の危機」を乗り越えたか (1/4) |AERA dot. (アエラドット)

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第8回 小泉今日子はいかにして「36歳の危機」を乗り越えたか

文・助川幸逸郎

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風花 kaza-hana

出演:小泉今日子、浅野忠信/監督:相米慎二

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■「いい女」は36歳で死ぬ?

 マリリン・モンロー、ダイアナ妃、飯島愛――彼女たちにはひとつ、共通点があります。三人とも36歳で亡くなっているのです。

 古来、数え年の37歳(満年齢だと36歳)は、女性の「厄年」とされてきました。「最後のひとり」を出産する年齢が、これぐらいになる場合が多かったからといわれています。たしかに30代後半は、女性の体に変化が兆す頃合いです。

 現代ではこの時期に、子どものいない女性は、「産むか、産まないか」の選択を強く意識するようになるといいます。「20代の同性と自分を比較して、『他人の見る目』に違いを感じない」という人も、そろそろ減りはじめます。

 40歳までに生き方を再点検し、自分の見せ方を更新しなければならない――わかっていても、実行するのは容易ではありません。そこに至るまで、「女子」として上手くやってきた人ほど、従来の方式を手放すのに勇気が必要です。

「いい女」と呼ばれてきた人であればそれだけ、「30代後半の危機」は厳しいものになります。楊貴妃が亡くなったのは37歳、クレオパトラは39歳で世を去りました。感性と容貌にめぐまれた女性にとって、この年ごろはまさに「試練の時」なのです。

■小泉今日子の「36歳問題」

 小泉今日子が36歳だったのは2002年。この年に相米慎二監督の映画『風花』に主演し、女優として脱皮を遂げました(詳しくは、助川幸逸郎「小泉今日子が女優として成功したのは元夫のおかげ?」dot.<ドット>朝日新聞出版 参照)。この作品で「シングルマザーの風俗嬢」の役に挑み、成功したことで、彼女は「演技派」としての地位を確立します。

 変わらなければいけない時期に、新境地を開拓できた。傍から見ると、「36歳、試練の時」を、小泉今日子は賢く切り抜けたよう見えます。

 それでも当人は、30代後半を突破する困難を感じていたようです。2003年から2006年にかけて、雑誌『InRed』に書かれたエッセイをまとめた「小泉今日子の半径100m」の後書きには、こんな言葉が見えます。

<……連載が始まった頃の私は、そういう自信を喪失している時期でした。結構投げやりな気分で生きてたかも。このままオバちゃんになってしまえ! なんて思ってたもの。だからね、この連載を重ねながらじっくりリハビリをしてたような気がします>

 この本の最初の章のタイトルは「30代は微妙で中途半端なお年頃」。ライブでステージに出た瞬間、ファンが一斉に「若~い!」と声をあげたときの戸惑いが語られています。

<褒め言葉なんだと思うよきっと。お客さん達には悪気はない。むしろ無邪気で素直な反応。でもさ、実際ピチピチの若者に「若~い!」って褒めないでしょう? ある年頃にならないと成立しない褒め言葉でしょ? な~んだから微妙な気分にさせられない? こういうのってー。ホイホイ喜んでいいのだろうか?>

30代後半の小泉今日子が、「年を重ねる難しさ」に直面し、迷っていたことは間違いなさそうです。永瀬正敏と離婚したのも2004年、彼女が38歳のときでした。


(更新 2015/4/22 )


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プロフィール

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)

 1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など

※当コラムをテーマにした、助川幸逸郎先生の講座をよみうりカルチャー自由が丘で開催
http://www.ync.ne.jp/jiyugaoka/kouza/201504-01210123.htm
問い合わせは同センター 03-3723-7100

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