■Kyon2 VS. マリリン・モンロー

 小泉今日子の「最初の転身」は、劇的に成功しました。みずからを「コイズミ」と名字で呼び、『まっ赤な女の子』とか『艶姿ナミダ娘』とか、歌い手当人のキャッチコピーをタイトルに持つ曲をリリースする――いまだかつて誰も見たことがなかったアイドル像を確立し、中森明菜と並ぶ同期のトップへと躍り出ます。

 個性派ぞろいの82年組アイドルのなかでも、イメチェン後の小泉今日子は異彩を放っていました。とりわけ新しかったのは、同世代の女の子がコアな支持者になっていたことです。小泉今日子自身、次のようにのべています。

「生き生きと発言したり、お洒落したりするのが、私の思い描く現代の普通の子だった。ここでなら、自分の理想をやっても誰にもとがめられないとやりだしたら、女の子たちがついてきてくれた」(注3)

 女性アイドルというと、今も昔も、男性にとっての「理想のカノジョ」として売り出されます。ところが、断髪した小泉今日子は、女の子からの人気に支えられて「最強アイドル」となりました。

「セックス・アピールに欠けていて、男の子よりむしろ女の子に積極的にウケがよかった」

 短髪アイドル時代の小泉今日子を、そんな風に評している男性評論家もいます(注4)。「セックス・アピールに欠けている」というのは、体形がグラマラスではないことを指しているわけではないはずです。小泉今日子の同期で、小枝のように細かった松本伊代に対し、そういう言いかたをする男性はほとんどいませんでした。

 男性から見て、「女性」としての関心をそそられるかどうかは、体つきの特徴だけに左右されるわけではありません。小泉今日子と松本伊代の違いはどこにあったのでしょうか。男性が「女性」として関心を抱くかどうかは、何が分かれ目となって決まるのでしょうか。

 幼少時に愛情にめぐまれなかったため精神的不安定で、心の空洞を埋めようと、必死になって男性を求める――こうしたタイプの女性は、ターゲットとして定めた男性を高い確率で射止めます。芸能人になった場合、男性からの人気は抜群といった感じになります。このタイプの女性に接すると、ほとんどの男性は

「おれがこの子を何とかしてやらないと」

 という気になって、心を奪われてしまうのです。もっとも、こういう女性の愛情飢餓は底なしですから、ひとりの男性に愛されることで、心が満たされることは滅多にありません。心の渇きを抱えたまま、次々に男性遍歴を重ねるという恋愛パターンが、このタイプの女性にはしばしば見うけられます。

 マリリン・モンローは、まさしくそういう女性でした。モンローは、不幸な幼少期を送り、そのために背負いこんだ精神の不安定さを、男性の愛情と薬物で鎮めようとしました。メジャーリーグの花形プレーヤーだったジョー・ディマジオや、二十世紀を代表する劇作家のアーサー・ミラーなど、時代を代表するセレブと次々に結婚。ジョン・F・ケネディ大統領とその弟のロバート・ケネディ上院議員とも愛人関係にあったと言われています。それほどの男たちの愛情をあつめても、彼女は幸福になれませんでした。

 女優としてのモンローは、歴史に残るセックス・シンボルです。その体つきはたしかにグラマラスでしたが、そのことを褒めたたえる男性のモンローファンには、意外とお目にかかりません。女優モンローを支持する男性は、彼女の純粋さ、かわいそうさを好んで語ります(注5)。モンローはスクリーンの上でも、男性の「おれが何とかしてやらないと」という意識に訴えかけていたわけです」

 小泉今日子の同期の女性アイドルでは、中森明菜がまさにモンロータイプといえます。松本伊代も、薄幸な感じはありませんが、シッカリ者とは対極のあやうげなキャラクターが人気のもとでした。松本伊代ファンの中に、「おれが何とかしてやらないと」という思いにそそられていた男性が大勢いたことは、想像に難くありません。

 小泉今日子は、男性の「おれが何とかしてやらないと」という気持ちを、今も昔も、あまりかき立てません。断髪してから、元気でイケイケという感じでふるまうことが多かったせいもありますが、問題はもっと彼女の本質的な部分にかかわります。

 1984年、デビュー3年目の小泉今日子は、『生徒諸君』という映画に出演しました。そこで彼女が演じたのは、ナッキーとマールという双子の姉妹です。ナッキーは、快活なスポーツ少女。これに対しマールは、病弱で知能に障害があり、映画の中で夭折します。

 私はこの映画を、公開当時、劇場で観ました。小泉今日子のマールが浮かべる、透明で儚げな微笑みを見て、何ともいえない居心地の悪さを感じたのを覚えています。

 映像の中に現れる「儚げな少女」は、「おれが何とかしてやらないと」という気持ちを呼び起こすものだと、それまで私は思っていました。ところが小泉今日子のマールは、淡雪のように儚げでありながら、男性が力になってあげられるようには、まったく見えませんでした。スクリーン上のマールをどういう心がまえで眺めたらいいかわからなくて、私は混乱してしまったのです。

 小泉今日子が時として「セックス・アピールに欠ける」と評されるのは、おそらくこのような「男性には取りつく島のない部分」があるせいです。

 デビュー直後の「懐かしのアイドル路線」が大成功に至らなかったのも、彼女のこういう性質が影響しています。先に触れたとおり、「レトロアイドル」だった頃の小泉今日子は、「男の子に甘えてすがりつくような表情」を懸命に作っていました。私の印象では、その「甘え顔」は、まったく板についていませんでした。

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