第7回 ウクライナ 蜂蜜祭りと飢饉犠牲者記念館 |AERA dot. (アエラドット)

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第7回 ウクライナ 蜂蜜祭りと飢饉犠牲者記念館

文・東苑泰子

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キエフ  ペチェルスカ大修道院の蜂蜜祭り。様々な種類があり、ナッツ入りやお酒になったものまで売られている。ウクライナの蜂蜜生産量は、世界でも五本の指に入る

キエフ  ペチェルスカ大修道院の蜂蜜祭り。様々な種類があり、ナッツ入りやお酒になったものまで売られている。ウクライナの蜂蜜生産量は、世界でも五本の指に入る

キエフ  ホロドモールの慰霊碑。ホロドモールは、1930年代を中心にウクライナで起きた人工的飢饉。後ろのキャンドル型の建物は、その悲劇を風化させないため、2008年にオープンした犠牲者追悼記念館

キエフ  ホロドモールの慰霊碑。ホロドモールは、1930年代を中心にウクライナで起きた人工的飢饉。後ろのキャンドル型の建物は、その悲劇を風化させないため、2008年にオープンした犠牲者追悼記念館

キエフ  ドニエプル川。古くから、この大河に沿って様々な民族が暮らしてきた。キエフは、この裏にある小高い丘の城山から始まった

キエフ  ドニエプル川。古くから、この大河に沿って様々な民族が暮らしてきた。キエフは、この裏にある小高い丘の城山から始まった

 昨年8月、ロシアやバルト三国とともに、ウクライナの首都キエフを訪れた。4年前、東欧を旅行中にウクライナ西部を回ったが、キエフまでは行かなかった。西南部はオーストリア帝国に支配されていたことがあり、ヨーロッパの影響を受けた町があるが、キエフから東は文化が異なるとガイドブックに書いてあったからだ。それに、その頃はまだ特急電車もなく移動に時間がかかったため、キエフへは別の機会に行ってみようと思っていた。昨年、その時の旅で出会った日本アニメ好きの現地の女の子が、一家でキエフに引っ越したと連絡してきたので、彼女との再会も兼ねて立ち寄ることにした。

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 キエフは北海道よりも北に位置するが、昨夏は記録的な熱波に襲われており、日中の気温が連日30度の酷暑だった。夏でも涼しく町歩きが楽しめると期待していた私は、陽射しの強さと暑さにうだってしまった。地下鉄を降り地上に出たところでまずサングラスをかけ、目の前にあった人気のアイスクリーム・スタンドの列に並んだ。この通りは中心部の目抜き通りなのだが、週末なので歩行者天国として開放され、地元の人たちがミニスカートやショート・パンツにタンクトップ姿で行き来している。近くに海があるわけではないのに、まるで今から海水浴へ行くようだ。中には、ロング・スカートとロング・スリーブにスカーフを被った伝統的な装いの親子もいるが、見るからに暑苦しい。ソフトクリームを手に、大道芸人や着ぐるみのマスコットにからかわれながら独立広場の方へ歩くと、広場では、階段を利用した流水に人々が足をさらして、少しでも涼もうとしていた。

 紫外線の強さにくらくらしていたが、頑張ってドニエプル川を見下ろす丘へ行ってみた。ここには、キエフで最も古い時代に建てられたキリスト教寺院の一つで、世界遺産の大修道院や、戦争関係の記念碑の立つ公園がある。まだ商業的娯楽の少ないウクライナでは、こういった公園や大きな教会を訪れるのが週末のレクリエーションのようだ。修道院では、ちょうど季節の蜂蜜祭りが開催中だった。ずらりと並んだテントには様々な種類の蜂蜜がうずたかく積まれ、売り子に誘われた人々があれこれ味見している。修道院の敷地はとても広く、教会や博物館がいくつもあり、正面に堂々と立つ正教会の黄金色の屋根は、強い陽射しを浴びて輝いている。しかし一番重要な教会は小さく敷地の中ほどにあって、本堂は川淵の崖に沿うように下へと伸びる洞窟だった。そして奥には、歴代の聖人が眠る霊廟があった。この洞窟で彼らの遺体が自然に乾燥してミイラになっていたため、パワースポットとしてお参りする人々がひきもきらない。参拝客をあてこんで、霊廟へ下りていく階段には、信仰に関わる小物の売店が連なっていた。

 大修道院内の散策を堪能したあと、川沿いの公園に下ると、大きな広場に出た。ここには、大祖国戦争博物館があり、祖国の母の像と呼ばれる、右手に剣左手に盾を持つ高さ100メートルのモニュメントがそびえ立っていた。またそばには、第二次大戦時に使用された戦車や戦闘機が展示されており、ドイツ軍から祖国を守るために戦場となったウクライナなどで勇敢に戦った人民のレリーフもあった。この公園にも週末休みを楽しむ家族連れの姿があったが、彼らが、戦闘機や戦争レリーフの前に子供を立たせて記念撮影するのを見て、少々どぎまぎしてしまった。小さい頃から、争いや殺戮に慣れてしまうのではないかと心配になったからだ。

 しかし、それ以上に驚いたのは、ここに来る途中にあった飢饉犠牲者記念館だった。ウクライナは豊かな穀倉地帯だと聞いていたのに飢えるとは一体どういうことか!? と思いながら中に入ると、ホロドモールという、1930年代に起こった人工的飢饉の犠牲者を追悼するための資料館だとわかった。当時、ソビエトにとって、ウクライナから収穫される小麦の輸出は貴重な外貨獲得手段だったので、苛酷な徴発が課せられた。あまりの厳しさに飢餓が発生したが、徴収は止むどころか、抵抗するウクライナ人は財産を没収された上に強制移住させられて、何百万人という死者が出たそうだ。ろうそくを模った円形の博物館には、伝統的な農具とともに当時の文書や写真が展示され、その真ん中に犠牲者を追悼する聖壇があり、一通り展示を見た人々が、ろうそくを供えて祈りを捧げていた。記念館の前には、その飢饉を象徴する小さな少女の慰霊像が立っていたが、餓死寸前の姿は、マッチ売りの少女より悲惨に見えた。

 切ない気持ちを晴らし、少し涼もうと、ドニエプル川を見渡す展望台の方へ上って行った。ドニエプル川はとても広く、滔々とした流れの向こう岸に高層団地が林立し、その後ろには果てしない平原が続いている。遮るもののない空に向かって深く息をすると、気持ちが落ち着いてきた。そして大河とその向こうを見渡しながら考えた。「町の中を歩いている時には意識しなかったが、キエフは大平原の中にあったのか。この平原で暮らす人々は、苛酷な収奪にあい、戦場となって荒廃してもなお、この大地に生きてきたのだろうか……。それにしても立派な河だ。鉄橋を作る技術がなかった時代には、この大河を境として国が分かれてもおかしくない。ガイドブックに書いてあるように、東と西で文化が異なるのは、このような地形にもよるのかもしれない」と。

 この冬キエフでは大規模な反政府抗議行動が行われ、政権が交代するに至った。その様子が最近まで毎日のようにテレビで流れていたが、まさに、昨夏歩いたあの歩行者天国や広場がデモの中心だったので、大変ショックを受けた。町をひとりで歩き友人と食事をしている時には予兆すら感じなかったが、近年の状況やあの時訪れた記念館の説明などから、この国が抱えてきた緊張やウクライナ人の複雑な心情が推察される。ニュースがさらに、東西分裂の可能性まで解説し始めたところで、ドニエプルの大河を思い出した。また、その周りに広がる平原、そこで働く農婦たちの、私二人分はあろうかとみえるどっしりとした腰回り、さらにはキエフに数多くある教会で、厳しく無表情な顔で祈る老婆がちらりと見せた笑顔、下町の公園に立つコサックの歴史的英雄の銅像、レストランでビールやウォッカを水のように飲みながら談笑する男たちなどが、次々と浮かんだ。そして、現代に至るまで、この大河の東西から大波のように襲いかかってきた数々の歴史的試練を乗り越えて、より逞しく鍛えられてきた民と大地がウクライナなのかもしれない、と思った。


(更新 2014/3/27 )


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プロフィール

東苑泰子(ひがしぞの・やすこ)

 東京都出身。ニューヨーク近代美術館でインターン中、世界中から集まる人々に出会って地球の広さに衝撃を受け、キャリアを変えて世界を見る旅をするために?結婚! 海外勤務もあるサラリーマンの夫に励まされ、これまで訪れた国は100カ国以上の「旅主婦」。翻訳家の父に鍛えられた語学力と健脚・健啖を活かして諸国を歩き、出会った人々、その街・その国の風景を抜群の反射神経でパチリ。ミャンマー祭り2013 日本・ミャンマー交流写真展、優秀賞受賞。

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