万が一、大金持ちの家に生まれて、お手伝いさんなんかいて、黙っていても、不動産収入とかある生活。

 お金にも時間にも追われない。

 それこそ、毎日パーティしていてもいいような生活。

「そんな何も追われない生き方ができたら、どんな人生だったかなあ?」

 のんびり、海でも眺めて、好きな時間に好きなことをする。

―――あかん。想像できない。

 それどころか、3日で飽きそう。

 そんな生活は、わたしには、ぜったい無理。

 そうだ、わたしは、回遊魚だったんだ。

 止まったら終わりかもしれない(笑)。

 振り返ったら、追われてきたからこそ、成長してきた自分がいる。

 焦っていたからこそ、

「もっと、学ばなきゃ」

「もっと、時間を作らなきゃ」

「もっと、いろんな人と出会わなきゃ」

 と、思って、行動してきた自分がいる。そんな自分を後悔しているか。

 たぶん、それで良かったような気がしてきた。追われるのも悪いことじやないかもしれない。

 たぶん、わたしは、これからも追われる人生を進む気がする。

 それどころか「あと、何年生きられるのだろうか」と、すでに寿命に追われている。

 だからこそ、生きているうちに、「あれもしたい」、「これもしたい」と、したいことがいっぱい出てくる。

 そして、それが張りになっていることに気づいた。

 何もかも揃っていなくて、焦って、必死に手に入れようとするのも悪くない。

「毎日追われている」という人に、「追われているうちが花かも」と今だから伝えられる。

 考えたら、嫌でも死んだら、のんびりできる。

 生きているうちにのんびりしなくてもいいか……。