写真の右上、花の蜜を吸っているハチドリがわかるでしょうか
写真の右上、花の蜜を吸っている
ハチドリがわかるでしょうか
エイリアンのミイラ展示のポスター。要するに、各地にある人魚のミイラとか鬼の手のミイラとかと同じ類のものでしょうね
エイリアンのミイラ展示のポスター。要するに、
各地にある人魚のミイラとか鬼の手のミイラとかと
同じ類のものでしょうね
こういう浮島に家族が住んでいて、観光客を迎え入れる
こういう浮島に家族が住んでいて、
観光客を迎え入れる
浮島のひとつにあるインターネットカフェ。写真中央に太陽光発電のパネルがある
浮島のひとつにあるインターネットカフェ。
写真中央に太陽光発電のパネルがある

 マチュピチュ遺跡の観光を終え、宿泊したのとは別のホテルのレストランで昼食をとることに。
 インカテラ・マチュピチュというこのホテルは熱帯の植物が生い茂るジャングルの中にコテージがいくつもあるという独特なもの。実はマチュピチュはアマゾンの入り口でもあるんですね。
 食事までテラスで待っていると、なんとハチドリが飛んできました。自分たちが座っていたテーブルの近くにお気に入りの枝があるようで、何度も飛んでは戻り飛んでは戻り。
 生きたハチドリを見たのは初めてだったので、興奮しましたよ。
 食事を終え無事に列車に乗りこむと、なんとその中でファッションショーが始まりました。乗務員が名産であるアルパカ製の服を着て、音楽に乗って車内を回るのです。
 車内販売もエンターテイメントにする。ほんとにペルーは観光に力を入れているなと思いました。
 オリャンタイタンボ駅でガイドのアルベルトさんと合流。クスコに戻ると、翌日はチチカカ湖に向かいます。クスコから観光バスで10時間の旅です。

 出発の朝、ホテルに迎えに来たアルベルトさんがニコニコしながら言いました。
「ケータイ、家に忘れてきたよ。でもダイジョーブ」
 いやいやいや、ダイジョーブじゃないでしょ。むこうで一泊するんだから。ガイドさんはバスのドライバーとかホテルとか、連絡しなきゃいけないところがいっぱいあるでしょ。今日明日二日間、携帯なしというわけにはいかないでしょ。
 さすがに、本人もそう思っていたようで、家に電話して奥さんに携帯を持ってきてもらうようにしたようです。観光バスは7:30出発。間に合うかなとひやひやしていたのですが、タクシーを飛ばして来た奥さんとバス出発の10分前に合流。なんとか携帯を受け取りました。
 天気に恵まれこの日も快晴。
 途中、プカラという町でエイリアンのミイラなんて怪しいものも見学しながら、無事にチチカカ湖のある町プーノに到着しました。

 ペルーとボリビアにまたがるチチカカ湖は、標高約3800メートル。「世界で一番高い所にある湖」と、子供の頃の教科書で見たことがあります。
 クスコよりも400メートル高い。でも、この400メートル差が意外と効きます。
 ここで、初めて頭痛がした。ちょっと高山病っぽくなりました。
 足を上げて寝て頭に血が行くようにしたら、だいぶ楽になりましたが。
 ホテルに酸素吸入室があったので、話の種に酸素吸入もしました。ベッドに横たわりでかい機械で10分吸入するという本格的なものでした。
 プーノのホテルに一泊して翌朝、チチカカ湖へ。
 湖には大小いくつものトトラという葦で編んで作った人工の島が浮かんでいます。
 ここに暮らすのがウル族。かつて彼らの先祖は、スペイン人の侵略から逃れるために湖に葦を編んだ島を作りここで暮らし始めたのだそうです。
 基本的には数家族で一つの島で暮らし、祭りなどの時には島と島をつないで大きな島を作るとか。多くの浮島を集めて作ったウロス島には幼稚園や小学校、郵便局などがあり、周辺の小さな浮島の間の行き来は舟で行うのだそうです。
 浮島の一つに渡ると、そこで暮らす家族が出迎えてくれました。(この教科書でしか見たことがなかった場所に自分たちがいる不思議さよ)
 葦を組んで作った船。帽子と原色が印象的な民族衣装。標高が高いうえに水の上ということで、強い紫外線がさらに増幅されるからでしょう。みんな肌が浅黒い。
 45年ほど前、小学校の教科書で見たのと同じ風景です。
 その湖になぜか自分たちがいる。小学生の時には、まさか自分が葦で出来た島の上に立っているとは予想だにしなかった。面白いものです。
「この島には喧嘩はないよ。喧嘩したら島を切って喧嘩をした人間を別々に分けるんだ」と、島に置いてある大きなノコギリを見せながら説明するアルベルトさん。「でも、ボリビアまで流れていくと、パスポートがなければ上陸できないんだ」と、また冗談なのかどうなのかよくわからない発言をします。
 驚いたのはこの浮島でも家庭にテレビがあること。売店などもある一番大きな島にはインターネットカフェもありました。
 フジモリ政権の時に、太陽光発電の設備をもうけたのだそうです。
 確かに葦で作った家の屋根の上に発電パネルが並んでいる。
 45年前に教科書で見たのと変わらないようでいながら、確実に生活は変化している。
 特に、太陽光発電と無線LANによるインターネットは、きっとこういう少数民族の生活も大きく変えることでしょう。
 この富士山の頂上よりも高い湖の浮島にいながら、僕の携帯がずっとつながっていたのもその象徴ですよね。