「キャプテン・アメリカ」が直面する"時代"と"正義" |AERA dot. (アエラドット)

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「キャプテン・アメリカ」が直面する"時代"と"正義"

文・中島かずき

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 アメコミ、アメリカン・コミックスに興味を持ったのは、中学生の頃でした。
 当時買っていた『SFマガジン』に小野耕世氏が連載していたアメコミの紹介エッセイがきっかけです。
 もちろんその前から、『スーパーマン』や『バットマン』がアメコミだということは知っていました。もっと幼い頃、『バットマン』の最初のテレビシリーズの放映にあわせて少年画報社が原作を翻訳して出版していました。一二冊買ってもらった記憶もある。バットマンがゴリラになるようなマンガが載っていました。
 ただ、当時はアメコミというのはマスクをつけたヒーローが悪漢をやっつけるシンプルな勧善懲悪ものだと甘く見ていました。
 池上遼一の『スパイダーマン』が大好きだったのですが、それも日本版はこちらで勝手に改変したので、これだけ面白いマンガになっているのだろうと思っていたのです。
 ですが、小野耕世氏のエッセイを読むと、そんなものじゃなかった。
 スタン・リーという原作者が登場し、スーパーヒーローに現実世界を持ち込んでいました。60年代ですので黒人解放運動や学生運動、ドラッグの問題など、激動する社会問題をコミックの中に織り込んでいった。
 その中でも特に、印象的だったのが「二人のキャプテン・アメリカ」というエピソードでした。

『キャプテン・アメリカ』は第二次大戦中に誕生したスーパーヒーローです。星条旗を模したコスチュームに身を纏い、ナチスドイツや日本軍を倒していく。その名前通り、アメリカの国を背負った、当時のアメリカにしてみれば、わかりやすい勧善懲悪ヒーローでした。
 しかし、こういう国粋ヒーローは、戦争が終わると居所がなくなります。共産主義の脅威に揺れた50年代に、赤狩りの先鋒として活躍しますが、これも状況が落ち着くにつれフェイドアウトした。
 第二次大戦と赤狩り、ある種狂気の時代にすごく寄り添ったスーパーヒーローだったのです。
 この時代遅れと言ってもいいキャラクターを、スタン・リーは復活させた。
 第二次大戦中に死んだと思われていた彼が、ある事故で北極で氷漬けになっていたことにしたのです。展開の都合上、赤狩り時代の彼の活躍はなかったことにしたのですね。
 それが20年後の60年代中盤に発見され、いきなり戦後のアメリカに蘇った。
 しかも自分の相棒である(いわばバットマンのロビンに当たる存在の)バッキーという少年はその事故の時に死んでいた。彼の死の責任を負い、戦前と全く価値観が違う世界に放り出され、自分が前世紀の遺物であることを感じながら、それでも悪と戦っていく。
 ザ・ファルコンという黒人のスーパーヒーローを相棒にして、過去の自分の行為に悩みながら、星条旗のコスチュームというヒーローである自分が逆説的になるわけです。「アメリカは常にそんなに正しいのか」と悩むことになる。
 そんなある日、彼の前に、もう一人のキャプテン・アメリカと相棒のバッキー少年が現れる。ファルコンを叩きのめし「黒人を相棒にする男などキャプテン・アメリカではない。我々こそが本物もキャプテン・アメリカだ」と挑戦する。
 しかもその回のラストには、「このキャプテン・アメリカは偽物ではない。二人とも本物のキャプテン・アメリカなのだ」という惹句が入るのです。もちろんパラレルワールドやクローンなどというものでもありません。
 では、この新しく登場したキャプテン・アメリカとバッキーは何者かというと、赤狩り時代に活躍したコンビなのですね。
 この反共キャプテン・アメリカは、実は第二次大戦の英雄だったキャプテン・アメリカの大ファンだった。彼が死んだことを信じたくなくて、自分が新しいキャプテン・アメリカになることにした。彼の志を引き継ぎ、国を守るため共産主義者を叩きのめす。その思いのまま、生きていたのです。つまり赤狩り時代のキャプテン・アメリカは二代目だったということなのですね。
 この二代目キャプテン・アメリカにしてみれば、今活躍している初代こそまがい物の英雄に見えてしまう。「俺の憧れた国の英雄が、そんな悩める男であるわけがない。アメリカという国家のために戦うのがキャプテン・アメリカだ」と。
 初代は二代目の話を聞き、愕然とします。若い時の自分に憧れて若い時の自分になろうとした男が、今の自分に挑戦してくる。
 戦いを避けたいがしかし、二代目が挑戦してくる以上、彼は戦わざるを得ない。力は互角なので手加減もできない。死闘の果て、結局初代は二代目を殺してしまいます。
 力尽きた二代目を前にして、初代は思います。彼こそ自分の亡霊です。もう一人の自分です。まかり間違っていれば、自分もこんなガチガチの国粋主義者のままだったかもしれない。決して、彼を否定することは自分にはできない。
 この話を知って僕は舌を巻きました。
 シリーズを再開するにあたって一度は無視していたエピソードを、こんなアクロバティックな手法で引っ張り出してきた。
 子供のものだと思っていたスーパーヒーロー物のジャンルで、もう一人の自分との戦いというテーマを、こんなに辛く切なく、しかしエキサイティングな物語にした。
 中学生だった僕は、かなりの衝撃を受けました。
 この作劇術は、今でも自分の中で大きな影響を与えている。一度、こんな話を書いてみたいと、この35年思い続けているくらい大好きなエピソードです。いや、このプロットの変奏曲はすでに幾つか書いている気もします。
 ただ、以上の紹介は、本篇を読んだわけじゃない。小野氏の紹介を、自分の記憶だけで書いているに過ぎません。実際のニュアンスは違っているのかもしれない。でも、間違っている部分があったとしてもそれを含めて僕が何に感銘を受けたのかは、このほうがはっきり伝えられるだろうと思っています。

 映画『キャプテン・アメリカ ファースト・アベンジャー』の公開にあわせて、『キャプテン・アメリカ』のコミックが三作品翻訳出版されています。
『ウインター・ソルジャー』は、上に触れた相棒バッキーが生きていたという物語。
『シビル・ウォー』は、スーパーヒーローは全て氏名と素性を明かすヒーロー登録制度を政府が打ち出したことで、賛成派のアイアンマン一派と、反対派のキャプテン・アメリカ一派が内戦(シビル・ウォー)状態になるという物語。
『ニューディール』は読んでいないのですが、9.11以降の正義を問う話だとか。
 いずれもまさに現代を問う作品だと思います。
 そしてこのあとは彼の死を描いた『デス・オブ・キャプテンアメリカ』も翻訳予定とか。
 星条旗のコスチュームなんて馬鹿馬鹿しい姿であるが故に、いっそう個人と国家の正義を考えなければならないヒーローの作品が、この時期に続々日本でも刊行されるとは。
 個人的には、映画化バンザイというところです。


(更新 2011/10/20 )


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中島 かずき(なかしま・かずき)

 劇作家、脚本家。福岡県出身。1985年より劇団☆新感線の座付き作家に。「阿修羅城の瞳」「髑髏城の七人」などの物語性を重視したエンターテイメント時代活劇"いのうえ歌舞伎"を多く生み出す。「アテルイ」で第47回岸田國士戯曲賞受賞。コミック原作や、アニメ「天元突破グレンラガン」(07、09)脚本・シリーズ構成、「仮面ライダーフォーゼ」(11)メイン脚本など幅広く活躍。脚本を手がけた「真田十勇士」(演出:宮田慶子、主演:上川隆也)が8月から上演される

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