中学一年生の時だったと思います。
 その頃、NHKの少年ドラマシリーズが好きだった僕は、その原作が多く収録された鶴書房のSFベストセラーズ(筒井康隆氏の『時をかける少女』や眉村卓氏の『なぞの転校生』など)と朝日ソノラマのサンヤングシリーズ(光瀬龍氏の『暁はただ銀色』など)というシリーズをよく読んでいました。 
 もちろん買えるほど小遣いをもらっていたわけではないので、市立図書館が頼りです。
 毎週土曜の午後は、自転車を飛ばして市立図書館に出かけるのが習慣でした。

  その日も、何冊か面白そうなSFとミステリを借り、でもまだ閉館までは時間がある。一冊くらい読んで帰るかと書棚を眺めていると、奇妙なタイトルの本が目に留まりました。
『ブンとフン』。
 著者は、井上ひさし。
「ああ、『ひょっこりひょうたん島』の脚本書いてた人だ。この人、小説も書いてたのか」
 小さい頃からマンガ家やテレビ番組の脚本家を覚えていました。
 自分の好きなタイプの作品を書くのがどんな人なのか当時から気になっていたのです。三つ子の魂というやつでしょうか。
 その少し前だと『天下御免』の早坂暁、『お荷物小荷物』の佐々木守、『タイム・トラベラー』の石山透などはもの凄く強烈な印象がありました。
 もちろん井上ひさしという名前は、『ひょっこりひょうたん島』と『ネコジャラ市の11人』で最初期に覚えたシナリオライターの一人です。
 ただ、小説も書いているとは思わなかった。(まあ、それもそのはず。これが氏の処女小説だったのですね。あとで知ることですが。いや、この本のあとがきで知ったのかな。さすがにその辺は記憶が曖昧ですね)
 表紙を見ると冴えない中年のおじさんが裸でボンヤリしている姿が、マンガ的なイラストで描かれています。
 自分が好きなSFの匂いはしないが、なんだか気になる。
 椅子に座って、ページをめくり始めると、これがとんでもなく面白い。
 途中で著者が「よい子が読むにはまずい描写があるので、お母さん達に見られると怒られるからこのページはのり付けしなさい」なんて書いてある。ご丁寧にそのページの端にはちゃんとのりしろがついている。v こんなギャグを小説で読んだのは初めてでした。
 あまりの面白さに何度も爆笑してしまい、図書館の司書に「静かにしなさい」と注意されたほどです。
 
 高校生になり、演劇部に入部した頃には、もう井上ひさしといえば大家の印象でした。
 小説では『手鎖心中』で直木賞をとり、劇作家としては『道元の冒険』で岸田戯曲賞をとる。
 放送作家から劇作家、小説家として着々とキャリアを積み上げていく。
 なんとなく「物書きになりたい」と夢想している田舎の高校生には、憧れの存在です。
 ただ、その後の政治的発言などを聞くにつれ、「相対主義がカッコいい」と思っていた当時の僕は、少し道が違った気がして、「すごいけど遠い人」というようなイメージになっていました。
 それでも『吉里吉里人』には唸らされたし、森奈みはるさんが出演した『紙屋町さくらホテル』を観に行って涙が止まらなかったりした。
 偉大なる先輩の一人だったことには、違いありません。
 
 お疲れ様でした。井上ひさしさん。
 一度もお目にかかったことはありません。
 唯一の接点と言えば、岸田戯曲賞の選考委員として、僕の作品を読んでいただいたことでしょうか。
 多分、あなたが審査員でなければ僕は岸田戯曲賞を取れていなかったと思います。あの時の選評を読ませていただいて、僕にはそう思えてなりません。
 最後にあなたの芝居を観たのは『ムサシ』の初演です。
 こんな時代だからこそ、若い世代にメッセージをストレートに伝える。書き手としては、そういう姿勢で挑んだ作品ではないかと感じました。
 病に倒れられる寸前まで、現役の書き手として第一線で頑張っていられた姿は、物書きとしては憧れる部分もあります。
 芝居の台本書きとして、自分の書く物をもっと進化させたいと思うとき、その先にあるものを考えたとき、改めて、あなたが書き続けてきた物の凄味を感じたりもしました。

 あなたにとっては顔も知らない後輩でしょうが、改めてご冥福をお祈りします。
 ありがとうございました。ゆっくりお休み下さい。