ずっと気になっていた劇団の公演を観に行ってきました。
 パラドックス定数という劇団です。
 なぜ気になったのか、今となっては思い出すのも難しい。多分、ネットでの評判だったと思います。別件で何か他のことを検索している時に、この劇団の公演の感想がひっかかったように記憶しています。その感想を読み「すごく論理的な芝居をするところのような気がする」という印象を受けました。
 作・演出の野木萌葱(のぎもえぎ)さんは、過去の事件や人物を題材にした知的な会話劇が得意のようです。
『パラドックス定数』という劇団名からして、そういうロジカルな匂いがする。逆説的な定数ですからね。アキレスが亀に追いつけないと仮定した時の速度が一定であることを証明するみたいな。全然例えになってないけど。
『新感線』とは大きな違いです。こっちは感性で猛スピードで突っ走るぞってことですからね。ああ、こっちはきれいな例えになった。
 劇団名ですら、そのくらいわかりやすさに差がある。
 
 これまでも『三億円事件』や『怪人21面相』など硬派な題材の作品を発表していますが、なぜかタイミングが合わなくて観に行けなかった。
 今回は過去の代表作『東京裁判』を再演することに気づき、慌ててチケットを予約して、ようやく観ることが出来ました。
 東京裁判は第二次大戦後行われた日本の戦争責任を問う裁判です。
 この裁判を舞台劇にどう仕立てるのか。大いに興味が湧きます。
 ちなみにこのあとはラストの台詞にも触れますので、ネタバレのお嫌いな方はお気をつけ下さい。
 
 結論から言えば、実に面白かった。
 非常に緊密な95分間でした。
 舞台は机と五つの椅子。
 そこに現れる五人の男達。これが日本側の弁護団です。
 裁判官も検察側もいない。客席を裁判官や検察に見立てて五人の弁護団が語りかける。この構造で芝居は進行していきます。
 この会話がよくできている。
 連合国の検察官・裁判官達が英語で話すので弁護側にも通訳がいる。そのため、いないはずの彼らの台詞を芝居に組み込み、うまく観客に伝えることに成功しています。
 
 今、『驕れる白人と闘うための日本近代史』という本を読んでいます。著者の松原久子氏がドイツ語で書きドイツで出版された本を日本語に翻訳したものです。
 簡単に言えば、白人は自分達キリスト教圏の文明だけを文明と思っている。だから、アジアなどの非キリスト教圏の住民達の文明など認めない。むしろ未開人に自分達の素晴らしい文明を与えてやったのだという意識から、本質的には脱却できていない。
 鎖国時代、徳川政権が大きな飢えも貧困も、ましてや対外戦争も起こさずに200年以上も日本という狭い国土で多くの人口を養うシステムを作ってきたことを、理解しようともしない。欧米諸国からの武力侵略を恐れた明治政府は、その徳川政権時代のシステムをすべて否定し、西洋の文明を導入することで、彼らの仲間入りをしようとした。その結果、日露戦争に勝利し、欧米の植民地主義に屈しない数少ないアジアの国となった。だが、それは鎖国時代に作られた日本国民達の民度の高さ故だったのだ。 欧米人の歴史認識を覆し、日本人が過去培ってきたシステムを再認識し誇りを取り戻すために書かれた本だと、著者も言っています。
 この本をすべて肯定するわけではありませんが、気分的には非常にわかる部分が多い。確かに開国時代の不平等条約の先に、太平洋戦争があり、東京裁判があるのです。

 パラドックス定数の『東京裁判』を観ながら、「ここでも、それがもう一度繰り返されたのか」と感じ入りました。それはラストの台詞に象徴されています。
 日本人弁護団が、この裁判が有効ではないと訴えた動議が(芝居の上では理不尽に)すべて却下され、検察側の冒頭陳述、「被告席に座る二十八名は、文明に対して宣戦布告を行った者達です」に対し、静かに異議を申し立てる弁護団。
 戦勝国である自分達を"文明"といいきるその言葉こそまさに、松岡氏が書いた欧米列強の非キリスト教圏の文明を文明と認めない態度と同じ物なのです。

 非常に志の高い芝居でした。
 たった五人でも、50人も入ればいっぱいになる小さな劇場でも、世界と闘うことができる。それが演劇の武器だ。改めてそう感じました。