ようやく『蛮幽鬼』の初稿があがりました。
 今回は自分でも不思議なくらい時間がかかった。あっという間に6月も後半です。予定では今頃は今年二本目の台本を上げているはずだったのに・・・。
 去年は、『天元突破グレンラガン』のノベライズ二冊に『まつるひとびと』という短編連作の連載と、慣れない小説の仕事が多かったせいで予定が大幅に狂ってしまったと思っていました。
「小説は、やっぱり書き慣れてないから時間がかかるんだ。来年は新作が三本あるけど全部芝居の台本だからきっとサクサク進むはずだ。分量だって小説だと一冊原稿用紙400枚は必要だけど、芝居なら一本200枚切るしな。物理的な量が少ないんだから、今年みたいなことにはならないぞ。ああ、はやく来年にならないかなあ」と思いながら、必死でキーボード叩いていたのに、気がついたらその『来年』ももう半分終わっています。でも仕事はたっぷり積み残し。
 おかしい、なんでこんなことになってしまったんだ。
 やっぱり分量だけじゃないんだ。200枚だろうが400枚だろうが、一本は一本なんだ。一つの話を作るのには、枚数換算だけじゃない時間が必要なんだと思い知らされてます。

 と、愚痴ばかり言っても仕方ありません。
 原稿をあげた翌日、歌舞伎座の六月大歌舞伎に出かけました。 
 確実に終わらせるためには、その先に予定を入れておくに限ると思って予約していたのです。
 市川染五郎(いちかわそめごろう)さんのご長男、齋(いつき)ちゃんが四代目松本金太郎を襲名し、初舞台を踏むのです。これは観ないといけません。いけないのですが、『蛮幽鬼』があがらないと行きたくても行けない。いけない尽くしの苦悶を越えてなんとか時間が出来ました。
 染五郎さんと初めて一緒にやった『阿修羅城の瞳』も、もう10年前。あの時にはまだ独身だった染五郎さんもいまや二児の父です。
 2007年の正月に『朧の森に棲む鬼』という染五郎さん主演の芝居をうった時、当時二歳だった齋ちゃんを千秋楽のカーテンコールに父さんと一緒に出てもらおう企んだのですが、落ち武者姿のお父さんが怖かったのか客席の熱気に圧倒されたのか突然大泣きしてしまい、結局諦めざるを得なかったのもいい思い出です。齋ちゃん、幻の新感線デビューでした。まあ、幻になって本人はよかったのかもしれませんが。
 
 初舞台の演目は『門出祝寿連獅子(かどんでいおうことぶきれんじし)』。河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)の『連獅子』をもとに構成された新作舞踊。
 松本幸四郎(まつもとこうしろう)・市川染五郎・松本金太郎と親子三代による連獅子です。
 おじいちゃん、おとうさんに挟まれて懸命に真っ赤な髪を振り回す金太郎君の孫獅子の精は、本当に可愛かったです。
 一緒に行った家内などは、その姿に涙ぐむ始末。「あの齋ちゃんが立派になって」と、すっかり親戚のおばちゃん状態です。

 休憩中に楽屋にご挨拶に行くと、ちょうど金太郎君が押隈(おしぐま)を取っているところでした。絹布を顔に当て隈取りを写し取るものです。しかも同じ布に幸四郎さんと染五郎さんの押隈もしてあります。親子三代連獅子の記録です。
 4歳で初舞台、しかも三代で連獅子を行うというのは初めての事だそうです。
 今の歌舞伎座も2010年4月には閉館し解体される予定なので、その前にこの歌舞伎座で初舞台をふませたいという親心だったのかもしれません。
椅子にすわった金太郎君は、虚空を睨み身じろぎもしません。大物の風格を漂わせています。まだトランス状態から抜けきっていないのでしょう。
 あとでマネージャーさんから聞いた話では、化粧をしている間はああやってずっと黙っているが、化粧を落とすと4歳児らしくはしゃいだりよく喋ったりするのだそうです。
 オンとオフのスイッチが化粧とは、さすがは歌舞伎役者だなと家内と二人感心しました。

 そういえば、『朧の森』の公演中、まだ客入り前のしんとした客席を、お父さんである染五郎さんと叔母さんである松たか子さんに手を引かれて、齋ちゃんが花道を歩いているのを見かけたことがあります。
 その時、「ああ、ああやって演劇遺伝子が受け継がれていくんだなあ」と、しみじみと思いました。
  
 生まれた時から自分の道が決まっている。それは幸福でもありしんどくもあるでしょう。
 でも、きっと高麗屋の大看板を背負ういい役者さんになるだろうと思います。
 その時は、新感線の舞台にも立ってください。
 おじさん達もその時までなんとか踏ん張ってるから。
 そんなことを思いながら歌舞伎座をあとにしました。