『マンガ編集者狂笑録』という本を書店で見つけました。

赤塚不二夫のブレーンを務め黄金期を支えたマンガ家の長谷邦夫さんが有名マンガ編集者について書かれたものです。

白土三平の『カムイ伝』を載せた「ガロ」の長井勝一、手塚治虫の『火の鳥』を載せた「少女クラブ」の丸山昭、「漫画少年」の加藤謙一等々、マンガの歴史に興味がある人間なら知っている方々を題材にした短編小説集です。

「なんで評伝じゃなくて小説なんだ」

と思いながら手に取りました。

読んでみると確かに小説という形でなければ表現できない部分もあるなとは思ったのですが、それはそれとして、「マンガ創生期から現在までの編集者の仕事は、やはり評伝として記録に残しておかなければならないのではないか」

そう思った矢先に、名編集者であった内田勝さんの訃報を聞きました。

先の本にも、内田さんの章はあります。また内田さん自身も『「奇」の発想』という自伝を出版されています。

ですが、「少年マガジン」編集長として、100万部を突破させ大学生がマンガを読む時代となり、「右手にジャーナル、左手にマガジン」と呼ばれるほど、少年マンガに市民権を与えた彼の仕事は、もっと客観的に論じられていいと思います。

もちろん彼だけではありません。マンガを描くのはマンガ家ですが、それを掲載する雑誌を作るのは編集者です。

今は国も海外へのコンテンツとしてもマンガを持ち上げていますが、マンガ家ばかりではなく編集者がどんな仕事をしてきたか、ちゃんと記録を残しておかないと、足下がおろそかになるぞ。

そんなことを今回書こうと思っていたら、マンガ家の雷句誠氏が原画を紛失した小学館を訴えるという報が。

驚きました。

次回、改めてこのことは考えたいと思います。