【Vol.19】コラムニスト・山崎まどかさんが見つけた「古本まつりのあと」の意外な楽しみ方

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 神保町は古い本だけではなく、古い映画が似合う街でもある。

 12年前の2007年に神保町シアターができた時はうれしかった。映画と本、神保町で両方を楽しめるなんて! 古本の街に、名画座はぴったりだ。今までなかった方が不思議なくらい。

 この映画館があるのは、名画座らしからぬモダンなビル。スクリーンは地階にあり、1階のコンクリートの壁には特集上映作のスチールや解説が貼ってある。上映作の原作本を飾るコーナーもあって、前にここで「華麗なる闘い」(1969年)という映画が上映された時、原作となった有吉佐和子の『仮縫』の本を展示のために貸したことがある。

 グレイのシートに座り、館内が暗闇に包まれるのを待つ。スクリーンに松竹や東宝、大映、日活などのシンボル・マークが映し出されるとタイムスリップが始まる。それまでも別の街の名画座で古い邦画を楽しむ機会はあったが、同時代のハリウッドやヨーロッパ映画にも負けない、古い邦画の真の魅力に目覚めたのは、神保町シアターに足しげく通うようになってからと言っていい。

 50年代から60年代にかけては、ベストセラーの小説やエッセイを基にした映画作品も充実している。神保町で手に入れた古本の映画化作品をここで見たり、映画が終わった後に古書店めぐりをして原作を探したり。田宮二郎主演の「勝負は夜つけろ」(1964年)という和製ノワール映画で、早川書房のポケット・ミステリが小道具に使われているのを見て、映画が終わった後の古本ハンティングで一冊仕入れたこともある。

 普段は紅茶派だが、古い映画を見た後や古本を買った時は、何故かコーヒーが飲みたくなる。神保町はレトロなコーヒー店が多いが、2015年にオープンした千代田通りのグリッチ コーヒー&ロースターズは“サード・ウェイヴ”以降のコーヒー店の潮流を感じる、新しいタイプの店だ。古いビルのむき出しの壁や床をそのまま使った店内のインダストリアルなデザインがかっこいい。ドイツのプロバット社の焙煎機が存在感を放っている。

カップではなく、トレイに載ったビーカーを思わせるガラスの器と湯呑みでコーヒーがサーブされるのが新鮮だ。コーヒー豆の情報が記された小さなカードがついてくる。グリッチの淹れるコーヒーはクリアで、酸味だけでなく果実味を感じさせる味わいだ。飲んでリラックスするだけではなく、思考や感情をクリアにするようなコーヒー。手に入れたばかりの本を読み、見てきた映画のメモを取るのに最適な一杯だ。

 古書店が閉まる頃になると、コーヒーだけではなく、ワインも一杯飲めたらいいなと思うようになる。2016年にオープンしたボルドーワイン・バー、レピックは前から気になっていた。ビニール紐でくくられた薄茶色の全集本が店頭のワゴンに積み上げられた古書店に挟まれた、水色のドアと店名がフランス語で入った淡いイエローのシェードがキュートで色鮮やかだ。細長い店内はカウンターのみで8席。ワインに合わせたビストロふうのメニューが10種類。私が初めて行った時は、すぐに常連客で席が埋まった。隣の席は会社帰りの青年だったが、隣にやって来た神保町のベテランという風情の古書店の女性店主と話が弾んでいた。初めて同士がワイングラスを片手にこんなふうに仲良くなっていく様子を見て、ヘミングウェイの本に書かれたパリの下町のビストロのようだと思う。

 おすすめのワインに合わせて頼んだ貴腐ワインのレーズンバターがおいしい。私のお皿を見ていた女性店主が話しかけてきた。「私は毎週ここに来て、黒板に書いてあるまだ食べていないメニューを頼むの。次は絶対、それを食べるわ」
 長々と居座るより、軽くグラスで飲んで、ちょっと食べて、おしゃべりをして去っていくのが似合いそうな店だ。

文:山崎まどか

コラムニスト、翻訳家。女子文化全般、海外カルチャーから、映画、文学までをテーマに執筆。著書に『優雅な読書が最高の復讐である』『映画の感傷 山崎まどか映画エッセイ集』(共にDU BOOKS)、翻訳書にレナ・ダナム『ありがちな女じゃない』(河出書房新社)など。インスタグラムアカウントは@madokayamasaki

写真:伊佐ゆかり
取材協力:
神保町シアター
https://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/
グリッチ コーヒー&ロースターズ
https://glitchcoffee.com/
レピック
http://www.lepique.jp/

本企画は『東京の魅力発信プロジェクト』に採択されています。
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