My Hair is Bad、芥川賞作家・金原ひとみによる【アルティメットホームランツアー】オフィシャル・レポートが到着
My Hair is Bad、芥川賞作家・金原ひとみによる【アルティメットホームランツアー】オフィシャル・レポートが到着

 現在、5作目のフルアルバム『angels』を携えた全国ツアー【アルティメットホームランツアー】を敢行中のMy Hair is Badだが、その東京公演、12月8日、9日にZepp Hanedaで行われたライブのオフィシャル・レポートが配信された。

 本レポートは、2003年に『蛇にピアス』で第130回芥川賞を受賞した作家・金原ひとみ氏のペンによるもの。生まれて初めて小説を全部読みきったのが『蛇にピアス』だったというギター/ボーカルの椎木知仁と、My Hair is Badのファンを公言する金原ひとみ。二人は2021年に行われた対談企画で初めて対面し、そして今年、雑誌「文藝」2022年秋季号にて金原氏責任編集による特集「私小説」に椎木が参加して、初執筆となる小説「鉛筆」が掲載された。そんな巡り合わせを経て今回のレポートは実現した。

「みんなでやろうぜ」

【アルティメットホームランツアー】Zepp Hanedaは、この言葉を皮切りに「カモフラージュ」で始まった。「大声以外の声出しはOK」とアナウンスのあった会場には歓声が上がり、幾千もの腕が波打つ。「サマー・イン・サマー」ではフロントエリアがカオスに、「正直な話」、「綾」では観客一人一人が己の過去、あるいは現状に思いを馳せるように静まり返った。

 My Hair is Badのライブは、他のバンドのライブとどこか違う気がするのは何故だろう。初めてフェスで彼らを見た時から不思議だった。彼らのライブを見て抱くのは、演奏や歌声のみならず、My Hair is Badそのものを享受し共振している、という感慨に近いのだ。これは恐らく、メンバーの飾らなさ、特に椎木知仁の脳と舌が完全連動しているかのような、驚異的なまでに削ぎ落とされた「直感=言葉」の公式から生じている効果に違いなく、またこの「=」の中にはきっと僅かな濾過も脚色も交じっていないのだろうと、ここまで彼らのライブを見続けてきて確信している。

 直感的に語る自分、それを客観視する自分、客観視する自分をさらに俯瞰で客観視する自分、とどこまでも続いていきそうな自分の延長線までも直球ストレートで表現しようとするその真っ直ぐさは頑なで、変態的と言っても過言ではない。

 フェスでもワンマンでも対バンでも高確率で演奏される「フロムナウオン」は、毎回演奏時間が七分前後になるほどボリュームのある弾き語りと歌部分で構成されるが、椎木によるとこの弾き語り部分はほとんど即興で行われているという。彼の直感力と言語化の能力は、ここで遺憾なく発揮される。この日の「フロムナウオン」で彼が語ったのは、取捨選択についての言葉だった。

「手に入れるより捨てること」「いつか終わる世界で何を選ぶ?」「苦しさは降り注がない。いつか捨てるもの。つまりお前が苦しさ握ってんだよ」「苦しさもしんどさもお前が握ってんだよ。捨てちまえ」「このゲームお前にしか動かせないぞ」

 焚き付けるような言葉に、三千人近い観客がそれぞれの、自分の抱える何かを思い浮かべた瞬間だ。椎木の弾き語りの特徴は、この引き込む力と、想起させる力の強さだ。誰にでもわかる平易な言葉で、共感できる言葉で、それでも一人では決して引き出すことのできない想像力、発想力を引き摺り出し扇動していく。そしてこの離れ業が実現するのは、このライブが始まった瞬間から、椎木のストレートな言葉を素手で受け取り続けた観客が、ドラマや映画の主人公に共感するように、このライブの始まりからMy Hair is Badの演奏してきたセットリストというストーリーに共鳴し続けてきたからだ。

 音楽を通して、私たちは騒がしい高橋を目撃し、不倫と呼ばれる恋をして、雑に合鍵を渡され、仕事終わりの乾杯をして、まだ終わらないコロナを振り返り、愛してるなんて言わなくていいねと嘯く、そんなストーリーを共に生き続けていたのだ。この体験は、読書や映画、演劇とも違う、あまりに真っ直ぐで、立ち直れない恋愛の終焉と同様、恐ろしく深いところにまで爪痕を残し、その後を生きる観客一人一人の血肉に、快い痛みにすらなるだろう。

 ここまでがんばろう、ここまでがんばったら報われる、報われなかったとしても何とかなるだろう、とにかくそこまでなんとか生きて、その後のことはその後考えよう。先々の予定に思いを馳せ、そう自分を宥めたことが、誰にでもあるはずだ。私にとってそれはライブで、バンジージャンプやスカイダイビングのように、緩やかな自殺のようなものと同一視してきた。ライブは、ここまでくれば何とかなる、そう自分に言い聞かせながら長い長い潜水を続け低酸素で意識が薄れそうになる時、ようやく水面から顔を出し、大きく息を吸える瞬間。きっと、多くのライブキッズにとってもそうではないだろうか。

 しかし、本編最後のMCで椎木は言った。

「俺たちいつかみんな死んじゃうんだよ? 怖くない? やばくない?」

 そして笑いながら続けた。

「ここでみんなでずっと生きてたくない?」

 ライブは緩やかな自殺であり、投げやりになれる場所であり、今ここで死んでしまいたいと思える場所。しかし実際にはそれだけではなく、今この最高の瞬間に消えてしまいたいという気持ちと永遠にこの時間が続けばいいのにというアンビバレンツな想いが激しくぶつかり合いめちゃくちゃに混ざり合う場所でもあるのだと、この時気づかされた。ライブは緩やかな自殺でありながら、自分を生と結びつけてくれる役割さえも担っていた。

 My Hair is Badのライブは強制的に、観客それぞれに強烈な体験を与えていく。小さなポケットにこの経験が入ることで、それぞれの無駄が強制的にこぼれ落ちる。だからライブ後、熱気と湿気に満ちた箱から足を踏み出し、澄んだ空気に投げ出された頭はいつもよりずっとクリアで、いつもより生きていく覚悟が決まっているのだろう。そして次のライブまで、ポケットの中の体験を握りしめながら、また長い水面下の旅に出ることができるのだ。

Text by 金原ひとみ
Photos by 藤川正典