<インタビュー前半>トーンズ・アンド・アイが語る、ストリート時代の思い出と新曲「フライ・アウェイ」に込めた感情
<インタビュー前半>トーンズ・アンド・アイが語る、ストリート時代の思い出と新曲「フライ・アウェイ」に込めた感情

 2020年11月13日に最新シングル「フライ・アウェイ」をリリースしたオーストラリア出身シンガー、トーンズ・アンド・アイから、日本のファンに向けた最新オフィシャル・インタビューが届いた。今回は、ストリート・ミュージシャン時代のエピソード、自身のユニークな歌声について、新曲「フライ・アウェイ」にまつわる話を語ってもらったインタビュー前半をお届けする。

――2018年にストリートでライヴを始めたことをきっかけに音楽活動を開始、「ダンス・モンキー」のヒットによって瞬く間に注目。わずか2年足らずで活躍の舞台が「世界」になりました。このスピードでサクセスできるミュージシャンは、本当に稀だと思いますが、今までの音楽活動を振り返ってどう感じていますか?

そうね、ここ1年半はクレイジーだったわ。今は、少し休みをとれたから、多少リラックスしたって感じかな。強制的にとらされた休憩だったけどね。でも考える時間を与えてくれた。ただ、これからも曲を書き続けたいわ。これからも人々に音楽をたくさんライブで聴かせてあげたいの。それが私の最大の目標。ライブで演奏し続けることよ。

――そもそもストリートで音楽活動を始めたきっかけは? どんなミュージシャンや出来事が、あなたをストリートに立たせたのでしょう? また、当時からいずれは世界を熱狂させる音楽を作る予感や確信はありましたか?

私が路上でライブをし始めたのは、ストリート・ミュージシャンをとても尊敬していたから。ラッキーなことに、オーストラリアではストリート・ミュージシャンたちが非常に尊敬される文化を持っているの。ストリート・ミュージシャンのコミュニティもよく形成されているし、あらゆるところにいるからね。そして、みんなが彼らの周りによく集まるの。オーストラリア人はそういうのが得意よ。私も彼らみたいになりたいと思ったわ。でも、自分が曲を正式にリリースすることになるとは思いもしなかった。自分でCDを作って路上で売るつもりだったの。今のマネージャーが当時、私に「曲をリリースしてみないか」って声をかける前までは、歌をリリースするなんて考えてもいなかった。

――ストリート・ライヴで印象に残った出来事、また学んだことがあったら教えてください。

どんな人であれ、皆がギターを弾いて平和と愛を語るこの美しい町にいても、成功すると引きずり下ろそうとする人が現れるはず。アーティストとして有名になる以前、私はすでにストリート・ミュージシャンとして成果を得ていたわ。ものすごく大勢の観客が毎晩道に溢れ出して、道は渋滞となって、他のストリート・ミュージシャンは私のことを嫌ったわ。とにかく、路上ライブから学んだ最も大きなことは、パフォーマーとしての力量かな。初のフェスティバルを迎えたときも、「最高!」としか思えなかった。もし私がYouTube上で活躍するアーティストや、部屋の中で一人でしか演奏した経験しかないアーティストだったら、初めてフェスティバルに参加することになったとき、「やばい、どうしよう」ってソワソワしたと思う。路上ライブの経験が本当に役に立ったし、私をずっと強くしてくれたと思う。

もちろん、路上ライブは決して簡単じゃないわ。いつも大変よ。神経質になって、不安になりがちだわ。また「うるさい」とか「黙れ」とか言われるんじゃないかといつも心配するし、お金は盗まれるし。でも、その分の価値があるの。ライブがうまくいって、人々が車の上でジャンプしまくったり…もちろん、やめさせるべき行動だったけど、ただその雰囲気が本当に良かった。いまだにそのビデオを持っているほど。とても貴重な経験で、とても楽しかった。

――とてもキャッチーでユニークでダンスしたくなる楽曲ですが、特に耳に残るのがあなたの声。力強いソウルを感じさせながらも、キュートな雰囲気を合わせ持った、他にはない存在感でクセになります。ご自身のヴォーカル・スタイルに関して、こだわりはありますか?

実際に授業を受けたことなんてないわ。だから、単純に出せる音を出すの。例えば「ダンス・モンキー」を今みたいに喋るときの声で歌うとしたら、あの音程は出せない。歌手は大抵、低音域から高音域まで自由自在に歌えるのだけど、私はそんな声を持っていないの。これが限界で、地声か高いオクターブしか出せないの。間がないのよね。他の人々はできるかもしれないけど、私はできないの。

――「ダンス・モンキー」のヒットで学んだことはありますか? それが今回の新曲「フライ・アウェイ」に影響された部分はありますか?

(「フライ・アウェイ」は)何よりも聖歌隊を入れたストーリー豊かな曲を作りたかったの。誰にだって夢はあるからね。「ダンス・モンキー」は単にある日、路上ライブをしていた時にイライラしたことを書いたら、世界中で大ヒットして、多くの人に幸せを与えられたの。もちろん、中には気に入らないという人もいたけどね。でも、自分の曲をここまで広く世界に発信できる力を自分が持っているって分かった以上、これからリリースする曲は、必ず良いメッセージを込めたいと思ったわ。「ダンス・モンキー」は、ただ当時路上で言われたことをひたすら書いただけで、ストーリーが豊かな曲ではなかったから。

――ずっと思い描いた夢が叶い、これからどこへ向かうべきかを探す心境を綴った歌詞ですが、これは「ダンス・モンキー」のヒットによってもたらされたあなたの現状が描き出されたものなのでしょうか?

そうね、私はいつも自分がどう感じるかを曲に書くわ。一度も感情を偽ったことはないし、その分曲作りはもっと難しいの。本物の感情か偽物の感情かを問わずに、ただ書きたいことを書く人も多いからね。とにかく、自分の曲はとても正直だと思う。(「ダンス・モンキー」のヒットによってもたらされた戸惑いもあるけれど)どれだけ素晴らしい日々がもたされたかについても、1曲作れると思う。曲作りにおいては、ある出来事がもたらした数々の感情のうち一つを選んで、それを曲に込めるの。でも、それとは正反対の感情も感じたことがあるはずだから、その真逆の感情を練り込んだ曲も作れるってことよ。とにかく今回の曲に関しては、サビがポジティブであること、そして、聴く人が共感できることを念頭に入れたわ。私は物語を語るのが好きなの。そして今回も物語を聞かせてあげるためにそのような歌詞を書いたわ。

――サウンドメイクは、どういうプロセスで行うことが多いですか?「フライ・アウェイ」ではユニークな手法を取り入れましたか?

まずはサビから始めたわ。自分でサビを書いたんだけど、一回書いたあと二日間放っておいたの。二日後に戻ってきて、再びサビを聴くと「このサビめちゃくちゃいい!」と思ったわ。二日間放っておいて、全く聴かずにいると、サビがどんな感じだったか、歌詞は何だったか、全部忘れてしまうの。そして二日後に戻って再び聴いた時、すぐに気に入ったら「これだ」って思えるわ。逆に「うーん」って思ってしまうと、それは微妙ってこと。でもこの曲はすぐにしっくりきたの。曲を完成させるのが楽しみでしょうがなかったわ。結局その日に書き終わらせたの。リリースの3週間前にして完成させたのよ。

――この曲のミュージック・ビデオでは、トレードマークと言えるキャップを外してコーラス隊とセッションしている姿を投稿していますね。なぜキャップを外したのでしょう? また、ビデオのコンセプトを教えてください。

当時、(アメリカで)大きな選挙が行われていたのよね。そこの「誰かさん」を象徴するものがキャップだったから、キャップを被りたくなかった。ちょうど(撮影と)同じ週だったの。だから、「いや、今週はやめておこう」と思って、キャップを着用せず「フライ・アウェイ」を撮影したわ。どんな写真を撮るときであれ、キャップは被りたくなかった。今はもう終わったし、私もいつもの自分に戻ったけど。自分が好きじゃない人とスタイルが被るとき、嫌じゃない? なんか「それ着ないでよー! 私も同じスーツ着ているのに、着ないで欲しい!」って思う。だから、その1週間キャップをなくして、私は彼を決して支持しないというスタンスを示したかったわ。今はキャップ姿の自分に戻ったけど!