聖飢魔IIの創始者である大魔王・ダミアン浜田陛下「……神、全否定」さくら“シエル”伊舎堂と共に新バンド・D.H.C.について語る
聖飢魔IIの創始者である大魔王・ダミアン浜田陛下「……神、全否定」さくら“シエル”伊舎堂と共に新バンド・D.H.C.について語る

 聖飢魔IIの創始者である大魔王・ダミアン浜田陛下が再び人間界に顕現。選ばれし6人の改臟人間と結成したヘヴィメタルバンド・Damian Hamada's Creaturesが2か月連続で『旧約魔界聖書 第I章』『旧約魔界聖書 第II章』と2枚の大聖典(アルバム)をリリースした。これを記念し、ダミアン浜田陛下とさくら“シエル”伊舎堂(vo)にインタビューを敢行! 神を完全否定する大聖典や、正義の暴力が蔓延る人間界について等々語って頂いた。ぜひご覧頂きたい。

◎Damian Hamada's Creaturesインタビュー

<世を忍ぶ仮の姿(学校の教員)「もう思い残すことはない!」>

--陛下はしばらく世を忍ぶ仮の姿で生活されていたそうですが、このタイミングで再び人間界に顕現し、6人の改臟人間とヘヴィメタルバンド・Damian Hamada's Creatures(以下D.H.C.)を結成することになった経緯を教えて頂けますか?

ダミアン浜田陛下:世を忍ぶ仮の姿の仕事(学校の教員)を35年続けてきて、そのうちの32年分は担任を持っておった「もう思い残すことはない!」と。それで去年の3月に早期退職し自由な時間が出来たのはよかったのだが、ずっとテレビを観てたり、呑んでいたり、そんな生活を送っていたら1か月ぐらいで飽きてしまったのだ。体調まで崩してしまったのだ。

--働いていたほうが健康的だったんですね(笑)。

ダミアン浜田陛下:で、もうこんな暮らしはやめようと。それで5月半ばぐらいに「ギターを弾いたり、曲を作ったり、生産的なことを始めてみよう。生き甲斐を見つけよう」と思ったのだ。そしたら、やっぱり曲作りは自分にすごく合っていたみたいで、久しぶりにやってみたらめちゃくちゃ楽しかったのだ! 本当に朝起きてから夜寝るまで、飯や風呂の時間以外はアレンジも含めてずっと曲を作っておったのだ、気付いたら12曲も出来てしまった。「じゃあ、これを世に出そう!」と思ったのだ。

--そうして生まれた音楽を改臟人間にされて歌うことになったのが、さくら“シエル”伊舎堂さん。聖飢魔IIやダミアン浜田陛下の音楽を聴いて育ったそうですが、どんなきっかけで出逢ったんですか?

さくら“シエル”伊舎堂:初めて聖飢魔IIさんを知ったのは、小学生の頃にCD屋さんで流れていた地球デビュー25周年のミサ(ライブ)のDVDですね。すぐに「これ、誰っ!?」となりまして、この格好良い人たち……あ、人じゃない、悪魔の方々は誰なんだろうと思って、店員さんに教えてもらったんです。それから大好きになりました。

ダミアン浜田陛下:そのCDショップのあんちゃんだかねえちゃんだか分からないが、「大儀であったぞ!」と言わねばならぬな。

さくら“シエル”伊舎堂:良い仕事していただきました(笑)。そのあとにまた急接近する機会がありまして、デーモン閣下がご出演される【洋楽カバーイベントのCLASSIC ROCK JAM】を観たくて東京まで母に連れて行ってもらいました、初めて生で閣下を拝見して「こんなに格好良いボーカリストがいるのか!」ともっとのめり込んでいくことになって。そこからずっと「聖飢魔IIが好き!」と言い続けていたら、ダミアン浜田陛下の新プロジェクトの話が舞い込んできて……本当にビックリなのです。

<聖飢魔IIとD.H.C.「聖飢魔IIは360度 D.H.C.は30度ぐらい(笑)」>

--沖縄米軍基地の居住者が通う教会のクワイアで歌っていたり、60年~80年代のクラシックロックに傾倒してドラマーとして活躍したり、シンガーソングライターとしても活動したり、14歳の時に人気オーディション番組『X FACTOR OKINAWA JAPAN』やその後も日本テレビ「歌唱王」などのファイナリストになったり、凄まじい経歴をお持ちですが、メタルボーカリストに傾倒していったのは何故なんでしょう?

さくら“シエル”伊舎堂:元々静かに歌うのは得意じゃなくて、バラードとか本当に苦手なジャンルですし、邦楽のポップスも歌うのはすごく苦手で、とにかくステージで全力で歌うのが好きなタイプでしたし、それしか出来ないと思っていたので……日本のメインストリームにある音楽を得意としていないかも(笑)。なので、言い方はアレですけど、騒がしい、うるさいハードロックの世界が向いている。で、そういう音楽がリスナーとしても好きだったし、私は好きなことだけやっていたいタイプなので、それもあってズブズブとこっちのHR/HMにハマっていった感じ。もう抜け出せないです。

--陛下はさくらさんのボーカルにどんな印象を持たれていたんですか?

ダミアン浜田陛下:悪魔寺(事務所)や悪魔教会(レコード会社)からいろいろ音源や映像を送ってもらいチェックしたのだが、曲によってスタイルを変えてくる器用な子だなという印象であった。で、この者が自分のバンドに入ったらどんな風になるのだろうとイメージして「この者ならやってくれるな!」と思ったのだ、実際にレコーディングをしたら私の想像を遥かに超える出来栄えだった、相当な努力をしたのが分かる。で、このインタビューで今初めて分かったのだが、バラードが苦手であると。そこ、すごい共通点であるぞ! 私はバラードが作れないのだ(笑)。

さくら“シエル”伊舎堂:そうなんですね(笑)!

ダミアン浜田陛下:作ろうとすれば作れるのだろうが、たぶん良いバラードは作れない。私の好きなヘヴィメタルやハードロックの好きな曲のTOP100を作ったとして、そこにバラードは数曲しか入らないと思うぞ。

さくら“シエル”伊舎堂:陛下分かります! いっしょです!

ダミアン浜田陛下:レインボーの「キル・ザ・キング」とか、わりとああいう系統の曲ばかりがガンガン入ってくるんで。だから今話を聞いていて「ここまで相性が良いとは!」って驚いたぞ(笑)。

さくら“シエル”伊舎堂:D.H.C.はバラードができないバンド(笑)。

--奇跡的な巡り合わせだったんですね。

ダミアン浜田陛下:D.H.C.は聖飢魔IIとよく比較されるのだが、私が魔界へ帰還した後の聖飢魔IIは、ヘヴィーメタルだけでは無くいろんなジャンルの音楽性を持った構成員の集合体なのだ。まったく指向性が異なる。その中であの幅広い音楽性が出来上がっている。360度にわたって多種多様なロックを奏でているバンドなのだ、D.H.C.は超狭い! せいぜい30度ぐらいの角度しかないのだ(笑)。

<2枚の大聖典「絶望的。神の傲慢さも表現して……神、全否定」>

--ちなみに、D.H.C.のコンセプトはどうやって組み立てていったんですか?

ダミアン浜田陛下:コンセプトなどないのだ、私の理想とする音楽を世に送り出す事が目的なのだ。

さくら“シエル”伊舎堂:その目的のために我々は選ばれました!

ダミアン浜田陛下:コンセプトというより、そこを上手に説明するとすれば、D.H.C.に招集したメンバーは悪魔ではない。人間なのだ。しかし、ただの人間には私の理想とする音楽は創ることができないのだ、よって改臟人間にしたのだ。あと、今後ライヴを行う場合も悪魔ではないので、ミサでは無くライヴなのだ。その改臟人間たちを統べるものとして、大魔王・ダミアン浜田が存在している。だから、私がアートワークやミュージックビデオで抱えているギターはただ触っているだけじゃなく、それぞれの弦で改臟人間たちをコントロールしているのだよ、分かるかね?

1弦:さくら“シエル”伊舎堂(vo)
2弦:マスヒロ“バトラー”後藤(dr)
3弦:秀貴“ジル”栗谷(g)
4弦:大地“ラスプーチン”?木(g)
5弦:ケン“アレイスター”宮嶋(b,key)
6弦:宏美“ローズ”稲益(cho)

ダミアン浜田陛下:そして、当然、作詞、作曲、編曲、プロデュースまで私が関与している。以上がD.H.C.の構造なのだ。

--2か月連続で『旧約魔界聖書 第I章』『旧約魔界聖書 第II章』と2枚の大聖典(アルバム)をリリースされましたが、それぞれどんな作品に仕上がったなと感じていますか?

ダミアン浜田陛下:『旧約魔界聖書 第I章』は最初の挨拶のような作品であるな。なので、聴きやすい。ミュージックビデオにもなっている「Babel」は王道中の王道であるな。名刺代わりとでも言っておこう。でもそこにダミアンらしさは当然詰まっている。王道ではあるが、絶望的であり、なおかつ神の傲慢さも表現して……神、全否定。

--神、全否定(笑)。20年ぐらいインタビュアーの仕事をさせて頂いているんですけど、初めて飛び出したワードです。

さくら“シエル”伊舎堂:当然でございます。

ダミアン浜田陛下:そして、そのあとの「Heaven to Hell」は天界の天使を悪魔が拉致するのだ。「昔の恋人に似ている」というだけの理由で。それで、魔界に連れてきたのはいいんだが、上手くいくわけがないじゃないか。でも、紆余曲折を重ねながら最終的には愛を育んでいく。悪魔が愛を育む! 「Babel」で愛を切り捨てた神との対比になっているのだ。その「Heaven to Hell」は大作なので、さっき言った「名刺代わり」には相応しくないのだが(笑)、聖飢魔II時代から通ずる信念をしっかり踏襲していることを伝える為には必要な楽曲でもあるのだ。でも、どの曲も「名刺代わり」になるような王道で聴きやすい楽曲群である。

--『旧約魔界聖書 第II章』は?

ダミアン浜田陛下:『旧約魔界聖書 第II章』はとっつきやすくはないけれども、味のある楽曲が揃っている。「ちゃんと身構えて聴いてね。勉強頑張ってね」っという感じなのだ(笑)。

さくら“シエル”伊舎堂:私は陛下の曲はもちろん、詞も大好きで。歌詞カードを読んでいるだけでも小説を読んでいるような気分になるんですよね。すごく想像力を掻き立ててくれる。いろんな挿絵が思い浮かぶんです。で、それらが曲と合わさることによって絵が動き出して映像になっていく。なので、音楽を聴いているはずなんだけど、映画を観ているような気分になるんです。私はその語り手として招聘されている訳ですから、どうやってその体験を聴き手の皆さんにもしてもらうか、そこはすごく研究しましたね。大学とかで文学の作品研究の授業があるじゃないですか。あれをやっている気分。ダミアン浜田陛下の作品研究をしている学生みたいな(笑)。

<TikTok世代へ「30秒じゃ、歌は始まらないのだ(笑)」>

--この先のD.H.C.は我々にどんな世界を見せてくれるんでしょうか?

ダミアン浜田陛下:私の好きな世界しか描かない(笑)。メンバーもみんな賛同してくれているが、まず現(うつつ)ではないのだ。現実社会ではない、神話の世界であったり……神話って言うと「神」って書くからイヤなのだが、神話には悪魔も登場するのだから、そういう人類が生まれる前の話だとか。仮に人間について書くとしても、それこそ聖飢魔IIの「蝋人形の館」のようにすごくホラーチックな話であったりとか。そういうモノしかやらない! でも、願わくば、アニメの主題歌もやりたい! 恋愛モノとかじゃなくて、戦闘モノやダークファンタジー。以前テレビアニメ『テラフォーマーズ』の楽曲を手掛けて聖飢魔IIに提供したのだが、水を得た魚のように「この世界、最高!」と思いながら制作できたので、D.H.C.としてもアニメの主題歌はやりたいと思っているのだ。

--ここまでの話を聞いて、ギターソロすら失われつつある日本の音楽シーンに衝撃を与える存在になってほしいと思いました。

さくら“シエル”伊舎堂:たしかに、最近ギターソロとか印象に残るギターリフとか少ない気がします。私は元々ドラムを叩いていたんですけど、その頃からギターソロやキーボードソロも歌として覚えるのがあたりまえになっていたので、ドラム叩きながら各ソロを口ずさんだりしていたんですよ(笑)。

ダミアン浜田陛下:良いぞシエル!

さくら“シエル”伊舎堂:その楽しみを私の同世代の子たちにもっと知ってほしいですね! 「このギターソロ、格好良いんだよね」と言っても「え、そんなところまで聴くの?」って不思議がられる時があるんです。歌しか聴いてない事が多いみたいです!

ダミアン浜田陛下:アーティストからの全メッセージを受け取って欲しいものだな。それぞれの音から想像を膨らませて楽しむのが音楽だと思うのだが。

さくら“シエル”伊舎堂:歌詞とメロディー以外のサウンドも含めて全部で聞いて欲しいです。

--そんな人たちにこそ『旧約魔界聖書 第I章』『旧約魔界聖書 第II章』を聴かせましょう! それで音楽本来の楽しみ方を知ってもらう。聖飢魔IIデビューの十数年後に生まれた世代のさくらさんがD.H.C.のフロントマンになった意義になると思いますよ。

さくら“シエル”伊舎堂:本当、私の世代にも聴いてほしい!ヘヴィメタルをよく知らない人たちまで広めたいですね。

ダミアン浜田陛下:実際「私はメタルはあんまり聴かないんですけど、このアルバムは良いと思いました!」っていうコメントが多くあったようだ。

さくら“シエル”伊舎堂:それはとてもうれしいですね!

ダミアン浜田陛下:起承転結しないような、あっさり感が今は求められているのかもしれないけど、我々はそんなものを求めない! そんなにあっさりした調理はしないのだ!

--30秒ぐらいしか曲を聴かないTikTok世代に食べさせたらとんでもないことになりそうですよね。「え、世の中にこんなコッテリした料理があんの!?」って。

ダミアン浜田陛下:30秒じゃ、歌が始まらないのだ(笑)。まだ全然イントロの途中だから。

さくら“シエル”伊舎堂:驚かせたい(笑)!

<正義の暴力が蔓延る人間界「正義ほど曖昧なものはない」>

--「……神、全否定」している音楽がどう響くのか。

ダミアン浜田陛下:『旧約魔界聖書 第II章』に「女神と死神」という曲があるのだが、その中でも歌われているが、死を恐れないことがすごく大事であることを唱えているのだ。女神を生きることに例えて、死神を死ぬことに例えて、相反するふたつのモノが禁じられた愛を育むわけなのだが、すごく刹那的なのだ。で、2番で「生を食い尽くした死は尊い」ということも歌われているのだが、これは要するに「人生を全うしたということは、すごく尊いことなんだよ」ということを表現している。

--神を全否定するし、悪魔や絶望がキーワードになるような世界観だけど、捉え方によっては聴き手を鼓舞したり、前向きな気持ちにさせる作品でもあると。

ダミアン浜田陛下:アメとムチであるな。絶望ばかり味わわせていると「このバンド、聴いていていいのか?」ってなってしまうではないか(笑)。でも、そこに救いの手を差し伸べると魔界の良さを分かってもらえる。そもそもD.H.C.の絶望的な歌は現実世界の絶望を表現しているパターンが多いので、要するに「魔界へどうぞ、どうぞ」と勧誘しているのだ。『旧約魔界聖書 第I章』の「Lady into Devil」なんて「もうやってらんないわ、この世界」みたいな感じで人間辞めて悪魔になっちゃうのだ。

--勧誘技術のレベルが高い(笑)。

ダミアン浜田陛下:悪魔教は素晴らしいのだ!

さくら“シエル”伊舎堂:その通りでございます!

ダミアン浜田陛下:やっぱりね、無理して頑張っちゃいけないという事なのだよ。

--今の発言、めちゃくちゃ悪魔のささやきに聞こえました(笑)。

ダミアン浜田陛下:いや、生きることに対しては頑張らなきゃならないであろう、なんでもかんでも掟通りで、神の教えに従って生きていると、神は結構厳しいからな。

--たしかに。特に今年は「ジャスティス・ハラスメント」問題もあって、何もかも掟通りに人を制裁する集団心理が表面化しましたけど、あの正義って神的な思想かもしれない。

ダミアン浜田陛下:正義ほど曖昧なものはない。正義なんて立ち位置によって変わってくるのだ。みんな自分のことを正義だと思っているから、そういう姿勢でいるから戦争は起きるのだ。つい最近『恋妻家宮本』という阿部寛が先生役の映画を観たのだが、その中で彼がこんなことを言うのだ。生徒の保護者から「先生がそんなことしていいんですか! それは正しいことなんですか!」とすごく責められるのだが、それに対して「あなたの言っていることは正しいです。でも、優しくないです」と。正しいと正しいはぶつかり合うかもしれないが、優しいと優しいは決してぶつかり合うことはない。そう考えると、神が「正しい」と言っていることが必ずしも優しいとは限らないのだよ。

--奇しくも、神より悪魔の考え方のほうが優しく思える世の中になってきたのかもしれませんね(笑)。

ダミアン浜田陛下:ハハハハ! まぁ我々も優しいだけじゃないがな。でも「よく考えてごらん?」と問いかけてはいく。

さくら“シエル”伊舎堂:『旧約魔界聖書 第I章』『旧約魔界聖書 第II章』と共に人生観が変わるくらいのアルバムになっているのでたくさんの方々に聴いいただきたいです。人間界では「チャンスの神様」と言う言葉をよく聞きますが、私は「チャンスの悪魔」説を提唱します! 何故なら私は実際に悪魔からチャンスを頂いたから(笑)! ぜひ陛下率いるD.H.C.に注目して下さい!

Interviewer:平賀哲雄