「演出」と「やらせ」の大きな差異【世界音楽放浪記vol.65】 〈Billboard JAPAN〉|AERA dot. (アエラドット)

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「演出」と「やらせ」の大きな差異【世界音楽放浪記vol.65】

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「演出」と「やらせ」の大きな差異【世界音楽放浪記vol.65】

「演出」と「やらせ」の大きな差異【世界音楽放浪記vol.65】


大学の講義で、「演出」と「やらせ」の差異を説明する時、私は、このように答えている。事実を創造するのが「演出」で、ねつ造するのが「やらせ」だと。

演出の最たる好例は、ドラマや映画、演劇などだろう。史実に基づいたものも数多くあるが、作品として仕上げていく際に、どうすれば効果的に描き、伝わるかを、脚本家、監督、制作、技術、美術、演じる俳優など、多くのプロフェッショナルがチームとなり創作する。こうして誕生した作品は、文化史に刻まれていく。

音楽にも演出は必須だ。象徴的なものは、ライブだ。音楽は普段は日常に溶け込んでいるが、ライブ会場に行くことにより、非日常へとトリップする力を得る。この他にも、アーティスト・イメージ、リリース方法、効果的なプロモーション、マネタイズの方法など、総合的な演出を行う力量も、現代のプロデューサーには求められる。

これに対し、報道には「演出」という概念はない。ただ、真実は1つだが、解釈は無数にある。同じ事象でも、視座や立場によっては、是にもなり、非にもなることは、日々の暮らしの中でもよくあることだ。だからこそ、特にニュースやドキュメンタリーには、複眼的な視座が必要なのだ。

音楽の話を進めよう。私は、何人もの音楽家と、番組を通して、新しい曲の制作を演出してきた。私が発案し、仕掛けなければ生まれなかったというものも少なくない。しかしながら、川の流れで例えれば「最初の一滴」は私だとしても、多くの方の理解と尽力がなければ、それらの作品は名を残せなかった。私は、「Special thanks」というところに名前が載るか、時には、クレジットすらされないこともあったが、そんなことよりも、世界中の音楽ファンがその曲を聴いてくれた喜びの方が大きい。

番組の立ち上げも同じだ。当初段階では、何より、「アイディア」と「情熱」が不可欠だ。アクションしなければ、リアクションは返ってこない。何度も試行錯誤を重ね、「運」と「縁」を得て形に出来るのは、ほんの一握り。多くは没になり、レギュラー化されるのは、数えるほどしかない。

「演出」とは、言い換えれば、「0を1にする」ことだ。才能を持ち、なおかつ鍛錬を重ねた、適性がある人しかできないものだ。これは、どの世界でも同じだろう。だから、然るべき人が「演出」をきちんと機能させている状態では、「やらせ」が起きる可能性はない。

テレビ番組でよく話題になる「やらせ」は、「演出」とは似て非なるものだ。それまで、そこになかったものを創出してしまうという点では、外形的には似ているかもしれない。しかしながら、事実を実証するために不正確な素材やナレーション等を用いることは、信用を瞬時に喪失させる、いわば「1を0にする」行為だ。もしそれを「演出」だと勘違いする放送人がいるなら、一刻も早く、職を変えるべきだ。演出家には向いていないのだから。

「通信=communications」が急速に発達し、「放送=broadcasting」は、「発見」から「確認」へと、主な役割を変えようとしている。しかし、放送は、依然として大きな力を持っている。演出力を発揮すれば、視聴者が感動的な新発見をする番組が、これからもたくさん生み出されると、私は思っている。「デジャヴ」と「ジャメヴュ」、つまり、日常にある「既視感」と「未視感」を見つけることができる眼力が、演出力の根源だろう。ヒントは、リアルかサイバーかどちらのワールドかを問わず、時間と空間の中にある。それらを見出せる感性がなくなった時、私は演出という仕事を辞めようと考えている。Text:原田悦志

原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明治大学講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。


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