ザ・ビートルズ、1962年に初めてサインしたマネージメント契約書が約3,760万円で落札
ザ・ビートルズ、1962年に初めてサインしたマネージメント契約書が約3,760万円で落札

 ザ・ビートルズが、1962年1月24日に初めて交わしたマネージメント契約書が、Ernest Hecht Charitable Foundationのために行われたサザビーズの慈善オークションで347,875ドル(約3,760万円)で落札されたとBBCが報じている。

 マネージャーの故ブライアン・エプスタインとの契約書には、故ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、故ジョージ・ハリスン、そして結成時のドラマーだったピート・ベストのサインが入っている。エプスタインは基本的にバンド収入の10%を受け取り、収入が週に150ドルを超えたら15%を受け取るとする内容だ。この取り分は、ポールが交渉して20%から15%へ減額させた。

 サザビーズの書籍/文書専門家ガブリエル・ヒートンはオークションの前に、「この契約書はザ・ビートルズだけでなく、1960年代と当時のポップ・カルチャーにとって変革を起こす書類だった。これほど重大な歴史の一部を提供できて恵まれていると感じる」とオークションの前に声明でコメントしている。

 エプスタインは、1961年11月9日に英リバプールのキャヴァーン・クラブで、当時まだ無名だったザ・ビートルズのライブを初めて見た。レコード店経営や音楽ライターなどをしていた彼は、アーティストのマネージメント経験がなかったにも関わらず、すぐにマネージャーとしてバンドと一緒に仕事をするようになった。契約書にサインをしたのはバンド・メンバーだけで、これによりエプスタインはザ・ビートルズに拘束されることになったものの、メンバーは彼と仕事を継続する義務が生じなかったとサザビーズは解説している。

 エプスタインは1967年8月に32歳の若さで薬物の過剰摂取で死去したが、1964年に出版した自伝『A Cellarful of Noise』でザ・ビートルズとの契約について、「自分が契約書の全ての条項を守ることはわかっていたけれど、ザ・ビートルズを適切に支援できるか100%の自信がなかった。言い換えれば、ザ・ビートルズにとってより良い条件が揃えば、義務から解放してやりたかった」と綴っている。

 英リバプール・ホワイトチャペルにあったエプスタインのレコード店“NEMS”で契約書にサインした時、ポールとジョージとピートはまだ21歳になっていなかったため、それぞれの父親が連帯保証人として同席した。