- エンタメ
- 記事
旅をすると、まるで導かれたような出会いをすることがある。後にならないと、それが偶然ではなく必然だったと、気付かないことも多い。1990年3月。学生だった私は、まだソ連の一部だったバルト三国を単身で訪れるべく、フィンランドの首都・ヘルシンキへと飛んだ。ところが、空港で荷物が出てこない。バッゲージ・クレームに行くと「届けるから、ホテル名を教えてほしい」と言われた。貧乏学生が、予約などしているはずがない。唯一、宿泊地で知っていたのが、オリンピック競技場にあるユースホステルだった。雪の降りしきる中、公共交通機関を乗り継ぎ、漸く辿り着いた。暫くすると、まるで賓客のように、私のバックパックはタクシーで送り届けられた。荷物を受け取りにロビーに行くと、ロシア人夫婦が困っていた。どうも、フロントの方とうまく話が通じてないようだ。少しばかりロシア語を話す私は、通訳を買って出た。レニングラードから来たという。10日後にあなたたちが住む街に行くと伝えると、是非、御礼をしたいと、住所を渡してくれた。
あわせて読みたい
別の視点で考える
特集をすべて見る
この人と一緒に考える
コラムをすべて見る
カテゴリから探す
-
ニュース
-
教育
-
エンタメ
-
スポーツ
-
ヘルス
-
ビジネス