フュージョン・ギタリストのラリー・コリエルが73歳で死去
フュージョン・ギタリストのラリー・コリエルが73歳で死去

 米ジャズ・フュージョン・ギタリストのラリー・コリエルが、2017年2月19日(現地時間)に亡くなった。73歳だった。

 ジャズ・パブリシストのジム・エイゴが、米ビルボードに送った声明によると、コリエルはニューヨークのホテルで睡眠中に安らかに死去したという。先週末にイリジウム・ジャズ・クラブで2公演を行ったばかりだった。

 “フュージョンのゴッドファーザー”として知られたコリエルは、ジャズ・フュージョンのパイオニアだった。評価が高かったソロ・ワークで音楽界に名をはせ、生涯で60のソロ・アルバムをリリースした。

 コリエルは、1970年代中盤にエネルギッシュなフュージョン・バンド、ザ・イレブンス・ハウスを結成し、マイルス・デイビス、ゲイリー・バートン、アルフォンス・ムザーン、ロン・カーター、チェット・ベイカーなどのジャズの偉人たちと共演した。

 60年代から70年代に活躍した同時代のギタリストたちほどは商業的に当たったとは言えなかったものの、コリエルは長年ツアーで世界中を回り続け、2017年夏にもザ・イレブンス・ハウスの再結成ツアーを予定していた。

 ラリー・コリエルは、1943年4月2日に米テキサス州ガルベストンで生まれ、ワシントン州シアトル近郊で育った。4歳でピアノを始め、10代の頃にギターにシフトし、ロック・ミュージックに傾倒していった。音楽で食べていく才能がないと考えた彼は、ワシントン大学でジャーナリズムを専攻しながらギターの個人レッスンを受け続けた。

 1965年頃までにニューヨークに移り住んだコリエルは、そこでクラッシック・ギターを学んだ。チェット・アトキンスやチャック・ベリー、ジョン・コルトレーンやウェス・モンゴメリーなどのジャズメン、そして当時のポピュラー・ミュージックだったビートルズ、バーズ、ボブ・ディランなどから影響を受けた。彼のレコーディング・デビューとなった、ドラマーのチコ・ハミルトンのアルバム『ザ・ディーラー』では、そのロックとジャズを融合したサウンドが披露されている。

 1966年にサイケデリック・バンド、ザ・フリー・スピリッツを結成し、作曲、ボーカル、そしてシタールを担当した。3年後には、ジャズ、クラシック、ロックの要素を取り混ぜた2枚のソロ・アルバム、『レディー・コリエル』と『コリエル』を発表した。

 彼の最も有名なアルバム『スペイセス』は1969年末に発表された。ジョン・マクラフリンを迎えた、破裂しそうなテンションのギターサウンドは、のちの70年代フュージョン・ジャズ・ムーブメントの始まりとされている。

 彼の最新アルバム『ベアフット・マン:サンパク』は2016年10月14日にリリースされたばかりだった。ザ・イレブンス・ハウスのニュー・アルバム『セブン・シークレッツ』は2017年6月2日にリリース予定だ。

 コリエルの晩年のオリジナル作品にはトルストイの『戦争と平和』と『アンナ・カレーニナ』や、ジョイスの『ユリシーズ』に基づいたオペラなども含まれていた。