「私たちは、失敗から学びました。時間はかかるけれど、また元のやり方に戻せばいい。そのための試みを、私たちははじめています」

 ため息ばかりをついていた私に、フィスカニはそう話しながら、別の畑を紹介してくれた。

 木々を切り倒した後の土地には、グルーガムの木の苗が植えられていた。グルーガムは、大地を再び肥やしてくれるという。種を直接蒔いても十分に育たないため、廃品のプラスチックチューブを使って、グルーガムを苗の状態まで栽培することも、行われていた。

 化学肥料から有機肥料への回帰も、積極的になされていた。畑をベルギーワッフル状に耕し、そのマス目ひとつひとつに、牛の堆肥がまかれている。「自然のものはいいんだと、わかったんです」フィスカニはそう言って、はにかんだ笑顔を浮かべた。

教育というのは、とても大切なものです。学んだからこそ、こうやって元に戻す試みを始めることができました。そして、学んだことを皆に伝えることもまた、大切だと思っています」

 フィスカニは、カゾンバ地区青年団の一員としても活動をしている。農業を復興させるためのノウハウを学び、チチメンベ村をはじめカゾンバ地区の畑を元に戻すために、そのノウハウを還元しているという。カゾンバ地区青年団は支援を受けることなく、マラウイ人の青年が自発的に集まり組織されたものだ。農業の復興においてもまた、助け合いの精神が発揮されることで、この危機的状況をしのごうとしていることを知り、私は、唸るように感心した。

 このマラウイ滞在中、現地の方々と話をしていると、「マラウイは貧しいからね」と言われることが何度もあった。統計の取られた年度にもよるが、数字のうえでは、マラウイは世界で下から数えて5本の指に入る最貧国ではある。そして彼らはほぼ必ず、こう続ける。「でもマラウイは、『アフリカの温かい心』と呼ばれている国でもあります」

 私は、マラウイに貧しさを感じない。構造的な問題によってどれだけ土地が痩せようとも、マラウイの人たちのこころは、決して痩せてはいない。助けあいを目に耳にするたび、私はそう感じた。

 フィスカニにチチメンベの畑を見せてもらった私は、13キロほど離れたムズズの宿へ戻るため、国道で乗り合いタクシーがやってくるのを待った。ほどなく車がライトをパッシングしながら通りがかので、手を上げて止め、車内に乗り込んだ。

 車内には、運転をする男性と、着飾った女性が2人。聞くと、これからムズズで友人の結婚式に参加するところなのだという。豪華さはなくとも艶やかな衣装が、実に美しい。女性の1人から、「さあ、あなたをどこで下ろして差し上げればよろしいでしょうか」と聞かれた。バス乗り場近くで下ろしてくださいと話すと、私たちはムズズに詳しくないから道を指示してほしいという。この車はタクシーではないことに気づいた私は、結婚式への旅路を邪魔してしまったことを詫び、私を乗せてくれたことへのお礼を伝えると、彼女はこう話した。

「謝ることはありませんよ。これがマラウイのやり方ですから。私たちに感謝してくださった気持ちをわすれないでください。そしてあなたも、アフリカで困った人を見かけたときは、私たちがそうしたように、助けてあげてくださいね(注:彼女は『マラウイで』とは言わず『アフリカで』と言った)」

「約束します」と私は応じ、車を降りた。

 なんどもため息をつき、なんども唸ったマラウイ滞在だった。食糧危機を目の当たりにしながらもなお、むしろよりいっそう、マラウイに、アフリカに、私はひかれた。

岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。ニュースサイトdot.(ドット)にて「築地市場の目利きたち」を連載中