――判断が速い。篠山さんの撮影現場を取材させていただいたときも、現場の流れがすごくスムーズでした。そのときはヌードの撮影ではなかったですが。私もそうですが、篠山さんがどのようにヌードを撮影しているか興味がある読者がたくさんいると思います。モデルさんにはどのように接するんですか。

篠山:ヌードに限りませんけど、ものすごくナイーブに、神経を使いますよ。相手の気持ちをそらさないように、不愉快にならないように、リスペクトと愛と、ありとあらゆる善意をもって。女性に対しては常に「撮らせていただく」という気持ちですよ。あとは観察。こういうことに反応するんだ、こういう笑顔がいいじゃん、ふとした横顔がいいな……と見ておいて、カメラの前でそれをやってもらう。

――モデルさんが何人もいるときはたいへんじゃないですか?

篠山:それはね、道化になることだよね。道化になることで心をほぐす。

――おネエ言葉を使ったり。

篠山:おネエ言葉も出てくるし、「うるせぇ、この野郎」(と江戸っ子の口調で)ってわざと言ってみたり。いろんなことですよね。

――「篠山紀信」を演じる。それも演出ですね。

篠山:演出ですよ。

■社会との軋轢を越えて

――篠山さんが最初にヌード作品を発表したのは、1961年の「Human Form」(「コマーシャル・フォト」No.4)で、学生時代の習作でした。それから55年。ヌードをめぐって感じた変化を教えてください。

篠山:モデルを探すのが楽になりましたね。昔は絵のモデルくらいしかいなかったんだから。プロになってからは、コマーシャルやファッションのモデルたちと友だちになって、作品を撮影するから協力してよ、と一人ひとり自分で口説かなければならなかった。それがいちばんたいへんでしたね。そうやってお願いした人たちのなかに立川ユリ、青木エミがいて、黒柳徹子さんまで続くんですけどね。「激写」が始まったのは70年代の半ばですけど、あれは編集者がたいへんだった。「隣のみよちゃんが脱いだらどうなる」というシリーズだから、素人の子たちを編集者が口説いた。メシを食ったり、お茶を飲んだりして。そのとき、「篠山紀信」が有名だったり、テレビに出ていることは重要だったんですよ。

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