しかし、マリにおけるテロの脅威は依然小さくないと国際社会はとらえていることを私が話すと、やれやれと言う顔で、彼は語気を少し強めた。

「なぜマリだけを、危ないと言うんでしょう。アメリカだってカナダだってインドネシアだってフランス、イギリスだって、テロは起こったでしょう。テロが起こってから、フランスを訪ねる観光客がゼロになりましたか。アルカイダの問題は、マリだけの問題ではないでしょうに。ジェンネは、安全です。観光客が来ても、問題ありません」

 ジェンネには、スイス人女性が営むホテルもある。ホテル・ジェンネ・ジェンノの支配人ソフィは、ジェンネに心酔し、2006年にこの地に自分の宿を開いた。泥壁の様式を取り入れた作りのホテルは、ジェンネに何の違和感もなく溶け込んでいる。

 日本やアメリカ、イギリス、フランスが発する渡航安全情報において、マリ中部から以北は、NO-GOエリア(できるだけ近づかないことが望ましい地域)となっている。ジェンネも例外ではない。せめて多くの観光資源が集まるモプチ周辺まで、渡航安全情報の危険度が下げられればとも思うが、実際に現地に住んでいる彼女は、どう思っているのだろうか。

「残念ながら、私は、マリは安全だとは言えません。首都バマコだけは、セキュリティーが高いから大丈夫でしょう。ですが、ジェンネ市街こそ攻撃はされていないものの、ジェンネのすぐ周辺では、反政府勢力による殺人事件が散発しています。今は、ジェンネにようこそとは、言えません」

 さらに彼女はこう続けた。

「私は、先日のドゴン文化祭がバマコで開かれたことを、よく思っていないんです。バンディアガラへ観光客を誘致するのなら、MINUSMA(=ミナスマ/国連マリ多元統合安定化ミッション)でもマリ軍でも使って、バンディアガラの地で開催すべきでした。どうせやるのなら、バンディアガラはもう完璧に安全ですよと、対外的に示すべきでした」

 砂埃(すなぼこり)と人いきれに身を任せ、数世紀にわたる繁栄に思いをめぐらせている限り、ジェンネはいたって平和に見える。しかし同時に、ジェンネ市街へ向けて渡ったニジェール川では、乗り合いタクシーとMINUSMAの装甲車が同じ渡し舟に乗る風景も共存している。

 安全だと思いたい気持ちと、安全だとは言い切れない現実と、再びにぎわってほしい願望と、しんどい日常と、しんどくともかすむことのない愛着が、ジェンネではぐるぐるとまわっている。

「私が訪ねた時は、ジェンネは平和でした」としか言いようがないこの状況にやるせなさを抱きつつ、私は再びすし詰めの乗り合いタクシーに乗って、モプチへと戻った。

【※マリ北部における紛争】
2012年よりマリ北部を中心に続く武力闘争。マリ北部の自治拡大・分離独立を求める現地勢力に加え、リビアのカダフィ政権崩壊に伴い武器とともに流入した外国人勢力や、AQIM(イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ)と共闘する勢力など、複数の出自の異なる勢力がマリ政府に対し攻撃を続け、一時は同国北部の3都市(キダル・トンブクトゥ・ガオ)が反政府勢力によって占領された。その後、フランス軍やチャド軍の介入により北部は奪還され、MINUSMA(国連マリ多面的統合安定化ミッション)の常駐により、一程度の平穏は得られているものの、散発的な攻撃やテロは治っておらず、予断を許さない状況にある。