店主のガルバイヤロ・アバドン は、この地で長く民芸品店を営んできた。最盛期には、観光客が押し寄せる月曜日に稼いだ金で、1週間を過ごすことができたという。

 しかし、マリの混乱が始まった2012年以降、月に200人は訪ねてきた観光客は途絶え、現在はほとんどゼロとなってしまった。今はロンドンに暮らす親戚からの援助を頼りに、ほそぼそ暮らすしかないとのことだった。「ここで販売している木製の彫刻品も、あの仮面も、虫食いだらけになってしまった。メンテナンスをするための道具すら買うことができない。売るものがなくなってしまった」そう言いながら、彼は小さな穴がいくつも開いた民芸品を、私に手渡した。

「見てくれ、この状態を。そして、(私たちが置かれた状態を)伝えてくれ。観光はこの街の経済そのものなんだ。観光業がなくては、生きていくことができない」彼はそう話し終えると、私に手渡した民芸品を再び手にとり、元の場所に戻した。

 アバドンの店の向かい側に立つホテル・ル・キャンプマンは、本館に35室、別館に24室の客室を誇る、ジェンネの誰もが知る有名ホテルだ。各国大使が保養に訪れることもあったという。しかし現在は本館を閉じ、別館のみ営業。訪ねてみると、滞在客は月に2人程度しかいないといい、館内は静まりかえっていた。

 代表のイブラヒムは、このホテルで働き始めてから20年がたつ。以前は29人いた従業員は、5人まで減ったという。ただひとり残っていた調理人も、あまりの仕事のなさから、首都バマコへ行ったきり戻ってこないらしい。

「にぎわっていたこのホテルから、音楽が消え、花が消え、料理が消えた。観光客も、仕事の仲間まで消えてしまいましたよ」イブラヒムは嘆き、手を上げて空を見上げた。

 ホテル・ル・キャンプマン前の木陰では、4人の旅行ガイドたちが、何をするということもなく集まって時を過ごしていた。私もその輪に加わった。

 リーダー格のセイリー・アラサン・ギテは、外国人である私を見ても、率先して声をかけてくることはなかった。顔には疲れがにじんでいるように見える。以前は月に20人は捕まえられた客が、この8カ月間はゼロ。「ソリダリテ(家族や親戚間での助け合い)があるから、なんとか生きている」と話す。

 前述のイブラヒムは、「私は、ジェンネは安全だと言えます」と話していた。アラサンも、観光客がいないことのもどかしさを感じている。

「2017年には、マリの問題はすべて終わると思っています。マリ北部の自治を求める勢力は、マリ政府との和平協定を交わしました。マリにおけるアルカイダは小さく、たいした問題ではありません。ジェンネはもう安全なんです」

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