新郎新婦にも列席者にも華々しさを感じる結婚式だったが、実際にマリの置かれている状況は厳しい。ティテの店も例外ではない。

 シギは、モプチの中心部に構える実に居心地のいいバーだ。中庭のオープンテラス席に座れば、目の前を流れるニジェール川からの風を頬に受けながらビールを傾けることができる。「かつては、日中でも予約をしなければ椅子一つなかったほど、観光客であふれていたんだよ」と、ティテの弟は話していた。来訪者は欧州からだけではない。遠く日本からも多くの客が訪れていた。店の看板に各国語で書かれた「ようこそ」の文字の中には、ひらがなも見られた。

 しかし現在、シギのテラスに人影はない。2012年に始まった反政府勢力の南進に伴い、観光客は完全に消えた。ソファの布は破け、椅子の背は壊れたまま。店内を照らす蛍光灯が切れても、取り換えられていない。最盛期と比べれば、売上額は二桁以上違うだろう。

 地元客も激減した。観光客の消滅に伴い、モプチに暮らす人々の経済状況も著しく悪化。ビールやたばこなどの嗜好(しこう)品は控えざるを得ない。夜に訪れてみても、静かにビールを飲む客が数名見られる程度だ。

 厳しい状況のもと、盛大な結婚式を開いた彼の財力と心意気は並々ならぬものだと感じたが、これほど多くの人々が集まったのは、ただ酒やただ飯が振る舞われることだけが理由ではない。

 反政府勢力がモプチまであと数キロメートルに迫った時期、モプチでは銀行の業務が完全に停止した。銀行口座から預金を引き出すことのできなくなった人々は、親戚や親しい友人との間で当面の金のやりくりをしていたが、やがてそれも限界に達する。現金主義で商売をしていたティテのもとに、ひとり、またひとりと、金を借りるために訪れる人が続くようになった。彼は誰ひとり門前払いすることなく、「銀行が再開して、金を返せる状況になったときでいい」と、何の抵当も取らず、利子もつけずに金を渡し続けた。

「困ったときには助け合うのがアフリカでのやりかただとはいえ、あの時のティテの振る舞いは、簡単なことではない。彼には心から感謝している」当時、彼に当座の金を借りた男性は、言葉をかみしめるように、そう話していた。

 ただ酒が飲めるだけの理由で人が集まっていたのならば、パーティー会場はずっと混沌(こんとん)とした雰囲気になっていただろう。ただ飯に群がる人々ばかりが集まるパーティーならば、ティテも来場者を選んでいただろう。互いを敬い、互いを思う信頼感があるがゆえ、ティテの結婚式は、盛大かつ寛容なものとなり得ていたように、私には感じられた。

 モプチを発(た)つ前日、私はシギを訪ねた。600CFAフラン(約120円)のビールを飲み干し、1000CFAフラン紙幣を渡したが、店では小銭の釣り銭を切らしていた。ちょうど私も、小銭の持ち合わせがない。そこへ偶然やってきたティテは、「次に会ったときに払ってくれればいいよ」と、渡した1000CFAフラン紙幣を私に戻した。次にいつ会えるのか約束はできないことを告げると、彼はこう話した。

「いずれまた、あなたはモプチに来る。私もあなたも、お互いのことを忘れない。だから、次でいい」

 ティテとマリアム、おしあわせに。ビール代、必ず払いに行きます。

(岩崎有一)