街外れの乗り合いタクシー乗り場でロックランド行きの車を探し、ドアを開け恐る恐る乗り込むと、仕事帰りと思しき黒人の乗客が10人ほど乗車していた。外国人が乗り込むことなどそうそうないであろうタウンシップ行きのタクシーだ。

 乗客はみな、ぎょっとした目で私を見る。運転手にロックランドへ行くかを確認すると、ロックランドのどこに行くのかを聞かれた。セバスチャンズ・プレイスだとこたえると、乗客全員から、歓喜の声があがった。指笛を吹く乗客さえいる。いろいろなことにまだ半信半疑だった私は、「セバスチャンズ・プレイスは、私一人で行っても大丈夫なところなのでしょうか」と乗客に向けて話すと、声をそろえて「Yeah (もちろん)!」と返事が返ってきた。

 タクシーに揺られること20分、セバスチャンズ・プレイスに到着。「ぜひとも、楽しんできて」と乗客から声をかけられつつ、私は車を降りた。セバスチャンズ・プレイスは、多くの人で溢れる、酒屋とレストランとバーを兼ね備えた店だった。

 大音量の音楽と、肉を焼く香ばしい匂いが、あたり一面に漂い、人々の笑い声で溢れている。まだ明るい時間帯なのに、店はすでに客でいっぱい。注文をするカウンターには、待ち行列ができている。あたりの客を見渡すと、ビールを片手にソーセージを頬張っている人が多い。私も、同じものを注文することにした。

 街中の半値で売られるビールで喉を潤し、焼きあがったばかりのソーセージにかぶりつく。濃厚な肉汁をたっぷりと蓄えた極太のソーセージは、ため息の出る美味しさだった。2本目を頼んで席に戻ってくると、隣の席に座っていた屈強な体つきの中年男性から声をかけられた。

「あんた、ソーセージなんか食べるのか?」

 あまりの美味しさに驚いていることを私が話すと、彼は意外な話を続けた。

「南アフリカではかつて、黒人はソーセージを食べるしかなかった。ステーキとなるような部位は白人に届けられるため、捨てられる肉の切れ端や臓物を細かく切り刻み、同じく捨てられる血とともに腸詰にして、しかたなく食べていたものだった。アパルトヘイトが終わり、黒人が同じものを食べる機会を得ても、ステーキを高くて買えない黒人は多い。南アフリカのソーセージは、俺たち(黒人)のための食べ物なんだ……」

 改めて、ソーセージの断面を見つめる。日本ではホルモンと呼ばれる部位が細かく刻まれて混ぜられていることに、気づく。どうりで、ジューシーなわけだ。私にとってはご馳走でも、彼らにとっては苦い歴史も刻まれたソーセージであることを知った私は、この国のこれまでの歩みを想いながら、2本目を噛みしめ続けた。

 翌朝、ホテルの受付の女性に、セバスチャンズ・プレイスを満喫したことを報告すると、心底満足そうな顔を私に向けた。そして、また鼻をすすりながら、ブルームフォンテーンの歴史を、仕事そっちのけで話し続けてくれた。

 ――郷に入っては郷に従えとは言えど、簡単ではないし、しんどいことも多い。

 それでも私は、こちらとあちらの間にある壁をよいしょと乗り越える努力を、これからも続けていきたい。異なる文化を目の当たりにして感じる壁は、たいてい、自分自身が築いてしまっているものだ。自分で築いてしまった壁ならば、壊すことも、きっと自分できるはず。
 壁を乗り越えた向こう側にあるアフリカの懐の風景を、これからも伝えていきたい。

岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。

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