観光客は訪れない北谷町アラハビーチ 『沖縄のことを教えてください』から(C)Ari Hastuzawa
観光客は訪れない北谷町アラハビーチ 『沖縄のことを教えてください』から(C)Ari Hastuzawa
米軍保養施設 奥間ビーチのフェスタ 『沖縄のことを教えてください』から(C)Ari Hastuzawa
米軍保養施設 奥間ビーチのフェスタ 『沖縄のことを教えてください』から(C)Ari Hastuzawa
那覇国際通り 『沖縄のことを教えてください』から(C)Ari Hastuzawa
那覇国際通り 『沖縄のことを教えてください』から(C)Ari Hastuzawa
ボーリング調査開始後初の県民集会、辺野古ゲート前に3600人が集まった。『沖縄のことを教えてください』から(C)Ari Hastuzawa
ボーリング調査開始後初の県民集会、辺野古ゲート前に3600人が集まった。『沖縄のことを教えてください』から(C)Ari Hastuzawa

ニュースを見ていてもなかなかわからない、知りたいと思っても、複雑すぎて内実が見えないこと。写真家の初沢亜利さんは、2013年の後半から1年3カ月の間、沖縄に滞在しながら、そこに住むさまざまな立場の人たちと向き合い、本島じゅうを駆け巡り撮影を続けた。
写真集『沖縄のことを教えてください』の完成に際して、初沢さんにじっくり話をきいたその第1回目です。(インタビュー:木本禎一)

2012年に出版された2つの写真集、東北被災地に1年間通って撮影を続けた『True Feelings —爪痕の真情—』と、北朝鮮を4回訪れた中で撮影した作品をまとめた『隣人。38度線の北』。そして、今回出版する『沖縄のことを教えてください』。この三冊は、初沢さんにとって一つのシリーズのようなものなんですよね? そもそも被災地と北朝鮮の次のテーマを沖縄に決めたのはどんな理由からですか?

初沢  僕にとっては自然な成り行きでした。2011年に被災地と北朝鮮に通うなかで、政治権力や経済、マスメディアの中枢としての東京の一方的な眼差しが、時に暴力的なものとして受け取られることを実感したんですね。そして、それは同時に、東京でしか暮らしたことのない僕自身のまなざしそのものでした。ならば、おそらく沖縄からも同じような東京の像が見えるのではないか。被災地、北朝鮮、沖縄という三方向から東京を見てみたい。そう考えて沖縄に向かったんです。

北朝鮮にいるときにも、沖縄のことを強く感じたそうですね。

初沢  ええ。成熟した民主主義国家のあり方として諸外国から日本を見たとき、日本が戦後を乗り越えたかどうかを判断するのに2つのポイントがあると思うんです。一つは、旧植民地である北朝鮮との国交正常化ができているか。もう一つが、国内の少数民族問題として、沖縄への基地の過剰負担を日本人の責任としてどう解消できるかです。

少数民族問題ですか?

初沢  はい。海外メディアの視点では、沖縄で起きている事態は、日本国内の少数民族問題というとらえ方になっているんです。県民の圧倒的な民意を無視し続けるということは、日本の人口の1%である沖縄の人の叫びを、99%の本土の人が知らん振りを決め込んでいるということです。つまり、このまま国民が沖縄の叫びに関心を示さなければ、民主主義国家としての成熟度が問われることになりかねません。

また、北朝鮮を訪れたときの会話の中でも、沖縄のことを強く意識することがありました。彼らは、時おり消極的な、寂しさみたいな感情を吐露するのですが、彼らが僕に言ったことは、「我々は、日本と明や清、つまり中国という大国に挟まれ、その思惑に翻弄されてきた歴史を持っている。土地を奪われ、今は南北で分断されている私たちの気持ちは、日本人には到底分からないだろう」というものでした。その言葉を聞いたとき、僕の中で自然と沖縄のことが思い浮かびました。

日本と中国に挟まれ、実質植民地化されたようなことが起こっている沖縄の人たちは、本土の人のことをどう思っているのか。歴史的な問題を抱えながら、今も非常に抑圧されている彼らのことをもっと知りたいと感じたのです。

それでテーマを沖縄に決めたのですね。では、東京から沖縄に通うのではなく、実際に沖縄で生活しながら撮影を続けたのはなぜですか?

初沢  被災地にくらべて遠いという単純な理由もありますが、ニュースを見るだけで沖縄の人たちの怒りの感情が伝わり、彼らと腰を据えて向き合うには住むしかないと思ったからです。ただ、沖縄に渡り、どのようなものを撮りたいかなどは、まったく考えていませんでした。でも、被災地に行ったときも同様で、最初は何も考えていなかったのに、通っているうちに社会が変化し、それに自分が反応しながら積み重ねてきたもので最終的に1冊をまとめることができた。ならば、沖縄でも、その土地で生活し、右往左往しながら1年を過ごせば、自然と何かが積み重なっていくはずだ、という自信はありました。

ホップ、ステップ、そしてジャンプとしての沖縄作品ですが、正直想像を遥かに越えて厳しかった。取り分け精神的にはとても厳しかったですね。この場合の自信とは何か? それは悩み続けることへの自信かも知れません。世界はこうだ、沖縄はこうだ、と安易に規定せず漂いながら迷い続ける。その能力だけは他の写真家に負けない自信があるんです。写真とは社会の矛盾と自己矛盾が出会う場所。それが僕の写真観です。

なるほど。では、どのように撮影をはじめたんですか?

初沢  2013年の11月に沖縄に渡ったんですが、最初の1ヶ月は、ほとんどシャッターを切りませんでした。1年間は住むことを決めていたので、焦っても仕方がないと考えたんです。まずは沖縄に体を慣らすことが肝心で、朝起きた時に「あ、いま沖縄にいるんだ」と思わなくなるようにするための1ヶ月だったと思っています。ただ、その間にも、政治的な動きがあり、12月には仲井真弘多知事の辺野古承認会見があり、街で起こったデモの様子などにはレンズを向けていました。年が明けてからも名護市長選挙などを追い、沖縄に体を鳴らし終えたらすぐに政治モードに突入した感じです。

では、まずは政治問題に目を向けシャッターを切っていた?

初沢  いや、政治問題ばかりではないです。被災地や北朝鮮でもそうでしたが、東京にいるときと同じような感覚で、沖縄の日常的なスナップも撮っていました。けれど、沖縄の場合、どうしても日常の延長線上に政治の問題が出てくる。沖縄で起こっている基地反対運動などは、東京の国会前で行われているものより、はるかに日常に近い位置に存在しています。だから、沖縄の日常を撮るなら、どうしてもそこにもレンズを向けなければ、沖縄のありのままの姿などとらえられないのです。

沖縄に渡ってから、沖縄の人たちと交流はあったんですか?

初沢  もちろん、毎晩のように新しい街に行ってはスナックなどに入り、いろいろな人と話しました。すると、ものすごく異様な目で見られるんですよ。

警戒心があるような?

初沢  そうです。もちろん、どこの地方でもそれに似たことは起きますし、「あんた、この街の人間ではないよね」という視線をぶつけられることはあります。ただ、沖縄の場合は、「あんた、ナイチャーね」と、沖縄民族ではない人、つまり日本のヤマトンチュ、ヤマト民族という線引きになっているんです。そして、その線は決して簡単に越えられるものではないですね。沖縄に移って30年住み続けても未だにそう感じている方もいます。沖縄の人たちには、それだけ本土の人に抑圧されてきたという意識があり、日本人とはいくら話し合っても根本的に分かり合えることはないと思っている方が多いのです。

そう感じてもなお沖縄の人と話をしたいと思ったのですか?

初沢  もちろんですよ。僕は1年しか沖縄にはいられないし、もっと沖縄人の気持ちを知りたいと思っていましたから。でも、いま考えると、彼らに対して、すごくひどいことをしていたと思います。酒が入っているとはいえ、無意識のうちに本土人という上からの目線で話していたり、他人事のように勝手に沖縄分析をしてみたり、彼らを傷つけ、それによって自分も傷ついていました。ただ、沖縄に入った当時は、自分が沖縄の人たちを傷つけていることに気づいてもいませんでした。

無遠慮に沖縄の人の話を聞くことで傷つけてしまったと。ただ、そもそも写真には、何かをとる、収奪するという側面もあり、時にやましさを感じることもあるはずで。そんなとき、写真家はよく「寄り添う」という言葉を使いますよね。

初沢  僕は使ったことないですよ。

でも、今回の『沖縄のことを教えてください』という写真集は、「写真家が沖縄で1年暮らし、彼らの日常に寄り添って撮った写真」と紹介されることもあると思うんです。

初沢  ありえるでしょうね。でも、僕としては、決して寄り添えたとは思っていません。そもそも、「寄り添う」って、どういうことなんでしょうか?

写真集の中の一枚に、路上に座る男性に2人の子供が話しかけている写真がありますよね(上から3番目の写真)。例えば、彼女たちは、この人に寄り添おうとしていたのではないでしょうか? この写真について撮ったときの状況などを教えてもらえますか?

初沢  この男性は、実は石川竜一の写真集にも登場していますが、いつもこの場所にいるんです。那覇の国際通りと沖映通りの交差点という一番観光客が多いところで。僕は、ただ観光客の写真を撮ってもしようがないから、彼から数メートル離れた場所に座っていました。すると、信号待ちをしていた2人の女の子が彼に近寄って行ったんです。彼女たちが何を考えていたのかは分からないけど、寄り添おうと思ったのかもしれないし、心配になったのかもしれない。単に気になったのかもしれないし、ひょっとしたら、かわいそうと思ったのかもしれない。ただ、普通、大人は近寄っていかないですよね。男性の存在を認識しながらも放っておく人が多いと思います。

子供には、そういうところがありますよね。素直に、純粋に「大丈夫?」と声をかけることができる。

初沢  そうなんです。だから、この光景を目にしたときも、子供って面白いなと思ったんです。大人がやらないことを子供はできる。しかも、上から目線じゃなくて、同じ目線に下がって声をかけているんです。

では、なぜ大人になったら、それができなくなるかですよね。つまり、「寄り添う」とは言っても、結局は、その人の苦しみを引き受けることなどできないし、その人の痛みは永遠に分かるはずもない。

初沢  でも、自分が傷つかない、自分の生活が乱されない範囲に限っては、ときどき人はそういう善意を向けませんか。例えば、知人が入院したら見舞いに行くし、それが大病なら涙する人だっているでしょう。

確かにそれはある。でも、ひょっとしたら、この二人が声をかけたのは、自分のためにしているのかとも思うんですよ。それは、子供とか大人も関係なく、自分のために。それが人によっては、ボランティアという活動につながったり、介護という行為につながったりするのでは。

初沢  そうか、確かにそうかもしれませんね。

子供が二人というのも重要かも。たぶん、一人だったら行かなかったでしょう。自分たちが温かい場所にいて、安心感もあるから、その心地よさを分けてあげるじゃないけど、自分がよい状態にいるから声をかけられたんじゃないですか。

初沢  この信号の反対側には、彼女たちのお母さんがいたんですよ。だから、より一層守られている状態ですね。あと、僕は、この写真を撮ったとき、子供は面白いと思うと同時に、ここには何かがある、これこそが世界であるような気がしたんです。そして、シャッターを切った瞬間に「いい写真が撮れた」と思い、すぐに液晶画面で見返しました。写真を見ながら、ここには「人間」が写っているだろうか、あるいは、「沖縄」が写っているだろうか、僕が沖縄で写真を撮っている「責任」が写っているだろうか、と考えたんです。ただ、この写真には、「人間」や「沖縄」は写っていても、僕の「責任」は写っていませんでした。

それはなぜですか?

初沢  なぜなら、瞬間的に反応し、世界はこれでいいという思考のもとでシャッターを切ったわけだから、そのときは、僕が沖縄で悩み続けていたこと、本土人として沖縄で写真を撮る意味について考えてきたことが吹っ飛んでいたんです。それは、僕がこれまでずっと貫いてきた写真の撮り方ですし、そこから逃れることはできないのかもしれません。ただ、それでも、今回沖縄で撮った写真には、「人間」や「沖縄」が写ってほしいと思っていますし、できることなら、自分が沖縄と関わっていることが写ってほしいと思っています。そして、それが自分の美意識を通じて1点の作品の中にまとめられれば、「いい写真」として納得ができる。今回の写真集では、そうした作品がかなり入っているでは、と感じています。

(第2回に続きます)

※2015年8月15日(土)~9月6日(日) 東京・新宿のBギャラリー(ビームスジャパン6F)にて「初沢亜利写真展 沖縄のことを教えてください」が開催。

初沢亜利(はつざわ・あり)1973年フランス・パリ生まれ。写真家。上智大学文学部社会学科卒業。イイノ広尾スタジオを経て、写真家としての活動を開始する。第29回東川賞新人作家賞受賞。写真集に、イラク戦争前後の市民の生活を撮影した『Baghdad2003』、東日本大震災翌日から1年を追った『True Feelings -爪痕の真情-』、北朝鮮写真集『隣人。38度線の北』がある。

アサヒカメラ8月号には『沖縄のことを教えてください』の作品が掲載されています。詳しくはこちら