李琴峰さん(撮影/加藤夏子)
李琴峰さん(撮影/加藤夏子)

――このタイトルは色々な解釈が可能だと思いますが、最終的にこのタイトルをつけられることになったきっかけについて伺えますか。

李:タイトルはころころ変わったんですよ。編集者からもいくつか提案をいただいて、最終的にこのタイトルにしたんですけれども、毒のあるアイロニーがタイトルに欲しかった。この小説を書いていくうちに、出生は呪いなのか祝いなのかという問題が浮かび上がってきたんですね。「祝い」や「呪い」はキーワードだなという気がしていたので、最終的には『生を祝う』という単純明快なタイトルにしました。

――さきほど李さんがおっしゃった、生まれることが全面的に肯定されることへの違和感というのは、幼い頃から抱えられていたものなんでしょうか。それとも、作家としてデビューされて、書くことに自覚的になったときに、自分が書くべきものとして目が向いたテーマだったんでしょうか。

李:違和感自体はずっと昔からありました。ただ、技術的な問題もあるので、いきなりは書けなかったんだと思います。何作か書いて、少しではあるけれども技術もついてきたという感覚があって、そこに「S-Fマガジン」の百合SF特集が一つのきっかけを作ってくれて、プロットを作ってみたら、「ああ、これは書けそうだ」と。

――デビュー作からしばらくは、李さんはある種リアリティのある設定で小説を書かれていたと思うんです。ですが今年、芥川賞を受賞された『彼岸花が咲く島』ではファンタジー的な設定で、今作はSF的な設定を用いています。これは、ファンタジーやSF的な設定を使うことで、自分が抱えてきた問題意識を書けるという気づきがあったということでしょうか?

李:『生を祝う』で書いた生に対する違和感や、出生に対する疑問は、SF的な手法を借りないとうまく表現できないと思うんですね。現代の科学や技術はまだ、子供が自分の出生を決めるという状態を作り上げるところに達していません。そうすると、その状態を描いてみたいと思えば、必然的にSF的な世界になる。テーマがそれを要請したんだと思います。

次のページ 作中に出てくる「合意出産という制度」